Text by 齊藤聡(@Sightsongs)
ひとまずフリー・インプロヴィゼーションと分類してみても、サウンドから受ける感覚は一様ではありません。その理由は名称に表れています。ジョン・コルベットは名著『フリー・インプロヴィゼーション聴取の手引き』(カンパニー社)において次のように説明しています。
「譜面なし。曲を覚えているわけでもなし。進行すると同時につくりあげられていきます。ときにはグループで。ときにはひとりきりで。」
ジョン・コルベット『フリー・インプロヴィゼーション聴取の手引き』(カンパニー社)
とはいえ、ミュージシャンだって抽象的な表現者に純粋培養されたわけでもなんでもありません。一個の人間として、有象無象の地点から永遠に完成されることのないプロセスを提示し続けること。事前に予想しえないプロセスから聴き手や共演者がなにかを得ること(ひょっとすると、演奏している本人も)。これがフリー・インプロヴィゼーションの存在意義ではないかと思うのです。
ここでは、ギタリスト: デレク・ベイリー(1930 – 2005)から連想を連ねた5枚のアルバムを紹介します。
権力の無化~デレク・ベイリー『AIDA』(1980年)
フリー・インプロヴィゼーションといえば、必ず名前が挙げられる英国のギタリストです。グループでの録音もありますが、まずは雰囲気を体感するために共演者も曲もないギターソロからはじめてみてはいかがでしょうか。数多い傑作の中で筆者がもっとも好きなアルバムのひとつは『AIDA』です。タイトルは評論家の間章(あいだ あきら|1946-1978)から取られています。
サウンドを聴いてドライに感じるかもしれません。その理由は、ベイリーが調性からの逸脱を指向していたからでしょう。すなわち和音もメロディもその中心を失い、ロマンチックな世界からは離れてしまう。逆に言えば、それは既存の方法論からの自由を意味します。どの音符も権力関係から解き放ち、公平に扱わなければならない。ベイリーはこれを方法論的に実践していました。
音楽の規範を意図的に見直したからといって、ベイリーが自己表現の殻に閉じこもりコミュニケーションを無視していたわけではありません。演奏の途中に、アラーム音で演奏が一時中断し(誰かの腕時計でしょうか)、すぐに意に介さぬように再開する局面があります。これは「ライヴ録音の失敗」などではないのです。思わぬ形で外部との接点が生まれ、それを音楽として昇華してゆくことも、フリー・インプロヴィゼーションのおもしろさのひとつでしょう。
音色にあらわれる哲学~齋藤徹『パナリ』(1996年)
演奏中の亀裂といえば、コントラバス奏者・齋藤徹(さいとう てつ|1955-2019)の還暦記念に行われたソロリサイタル(2016)において、忘れがたい事件がありました。バッハの曲を弾いていたのですが、いきなり演奏を中断し、「破綻した!」と叫び、フリー・インプロヴィゼーションに移行したのです。これさえも、聴く者との接点に擾乱が生じたというだけのことであって、それを含めたプロセスの音楽と捉えてよいのです。『Travessia』には「破綻」後の演奏も収録されています。
筆者がもっとも好きな齋藤徹のソロ録音は、『パナリ』です。西表島・月が浜の海岸での演奏であり、湿気が高く潮をかぶって楽器がぼろぼろになったそうです。ずっと波の音が背後にあって、楽器の響きが周囲の空気と融合するようなサウンドです。旅の途中で明確なねらいとは無関係であったことも、演奏に独特の開かれた効果を与えたのでしょう。
かれの音の特徴のひとつは、周波数が非常に幅広く、多くの豊かな倍音とノイズを含みもつことでしょう。これは齋藤徹の音楽哲学に根差すものでもありました。特定の音を抽出増幅するサウンドは一聴して際立つのかもしれませんが、そういった「効果」へのアンチテーゼなのです。「それは聴く人の感情を持ち去るような効果をもちます。しかしそれは感情をある方向に限定していく傾向があります。『どうです?気持ちいいでしょう?』と強制される気がしてしまいます。」(2016年の発言)
コミュニケーション~齋藤徹+長沢哲『Hier, c’était l’anniversaire de Tetsu.』(2017年)
その齋藤徹が共演相手として声をかけたのが、長崎在住のドラマー・長沢哲(ながさわ てつ|1970-)でした。長沢は突然の連絡に驚いたといいます。このアルバムは、ふたりのはじめての手合わせを余すところなく録音したものです(齋藤徹の誕生日を皆で祝うところまで収録されています)。おそらくは緊張とともにどのように音を作り上げてゆくか手探りする長沢、体調がひどく悪いはずなのにその動きを受け止めて音を重ねる齋藤。結果としてすばらしい記録が残されました。対話の音楽です。
長沢哲もまた自分だけの音を追求している人です。最近共演を開始したピアノの遠藤ふみ(えんどうふみ|1993-)は、長沢の音について「打楽器にもかかわらず音階がある」と口にしており、長沢もまたそのためにチューニングを入念に行っています。聴く者にとってはピアノとドラムスとのデュオではなく相互に代替可能な言語のように感じられましたし、おそらくは演奏者たちも同じようなことを感知していたというわけです。
すぐれたフリー・インプロヴィゼーションには、ミュージシャンが何を考え、受け止め、どのような心持ちで演奏に臨んでいるか、音を聴きながら想像する楽しさもあるのです。
手垢のついた言説から遠く離れて~阿部薫『彗星パルティータ』(1973年)
とはいえ、それが過度の感情移入となってしまっては、もはや受け止めるものが音楽でなくなるのかもしれません。アルトサックス奏者の阿部薫(あべ かおる|1949-1978)は、破滅的な生き方のために30歳になる前に亡くなった人物です。早逝の天才、陰のある人物像、激しい演奏……彼について語りたくなる物語は限りなくあり、その音楽にはさまざまな言説がまとわりついてきました。阿部と妻の鈴木いずみをモデルにした若松孝二の映画『エンドレス・ワルツ』(1995年)などは、物語と音との距離感を可視化したものと言えるかもしれません。
著者は、阿部(とその音楽)を取り巻く価値観を長らく避けていました。しかし、いまあらためて阿部のアルトソロを聴くと、その美しさに圧倒されてしまいます。明確な単音を駆使し、なめらかなフレーズを繰り出し、ときに暴発するなど短時間で静と動との間を往還します。
こういった特徴は、欧米やアジアの現代のミュージシャンたちが阿部の録音から感じ取り影響を受けていることでもあります(注*1)。かつての無意味な言説とは無縁なかれらは、音楽そのものから刺激されているのです。なぜ既存のことばに囚われて音を虚心坦懐に聴くことができないのか―――それは、人間はことばによって生かされている生物だという証明でもあります。
そして、筆者はいつの間にか阿部の音に苦悩しながら生きる者の物語(のようなもの)を見出そうとしてしまいます。忌避していたはずなのに……。フリー・インプロヴィゼーションを聴くとは、矛盾のなかに敢えて身を置くことです。
*1 齊藤聡「阿部薫の他国への伝播と影響」(『阿部薫2020―僕の前に誰もいなかった』、文遊社、2020年)
一期一会~川島誠『Homo Sacer』(2015年)
阿部薫より30年以上あとに生まれたアルトサックス奏者・川島誠(かわしま まこと|1981-)は、この楽器を始めたあとに阿部のことを教わり、「嘘がない、ほんとに美しい音だと思った」と話しています(注 *2)。川島の演奏を聴く者が阿部を思い出すことはあっても、阿部の演奏に似ていると言う者は少ないでしょう。当然のことです。たとえば、アカペラで歌う人たちがそれだけで互いに似ているでしょうか。サックスは肉声に近い楽器でもあり、なおさらのことです。
川島の演奏からは、自身の記憶領域からなにかを探し当て、歌として昇華するさまを想像させられます。それはあくまで筆者が思い描く音の物語であり、他の人はまた異なる想像をするのでしょう。もしかすると、阿部薫についての語りにみられる「感情過多の言説」そのものかもしれません。
そんなことよりも、かけがえのないことは、かれのような人が同時代にいて、ライヴの場において、全身全霊で楽器を演奏していること。もちろんかれに限りません。フリー・インプロヴィゼーションのライヴは文字通り一期一会です。すばらしいと感じて震えるときも、最悪に近い印象を受けるときもあります。独自表現ゆえのことです。
*2 川島誠 インタビュー:みんなの「心」が集まって生まれる即興演奏(インタビュアー:剛田武、『JazzTokyo』2019年3月2日)
https://jazztokyo.org/interviews/post-26921/