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何をしていても“ヴァイオリニスト”でありたい──加藤綾子インタビュー【後編】

クラシック、即興、現代音楽。ヴァイオリン演奏にデザインや映像制作、そして執筆。ヴァイオリニストとして、あらゆる活動を続ける加藤綾子(かとう あやこ)に、中学時代の同級生であり、シリーズ公演『作品』などで協働している岡本がインタビュー。

後編では、クラシック音楽のような伝統的な音楽と即興の関係、即興や現代音楽につきまとう「わからない問題」、そして、意外な今後の展望について聞いていきます!

自分と他人の尊厳を守るために──伝統を引き継ぐ文化のなかで、即興的な発想をする意味

──お話を聞いてると、やっぱり、加藤さんのルーツはクラシック音楽なのかなって気がします。即興も現代音楽もやっているいま、あらためて、クラシック音楽についてはどんなことを思ってますか?

加藤:だいぶ状況は変わってきたけど、いまだにクラシック音楽は、ものすごいテクニックを鍛えて膨大なレパートリーをこなしたり、伝統を受け継ぐかっちりしたもの、というイメージが残ってます。でも、譜面があって、難しい技術とアンサンブルを要求される音楽だからこそ、即興的なアイディアやインスピレーションを失っちゃいけないんです。私が「この人、素晴らしいな」と思う音楽家は、みんなそういうものを持ってます。

クラシック音楽的なものを志す人ほど、即興的なパフォーマンスや表現に触れた方がいい。私が即興演奏に出会えてよかった理由のひとつは、あの出会いがなかったら、コンチェルトのソリストを務めたり、ピアニストのためのアンサンブル講座に関わったり、現代音楽を楽しむこともできなかったからなんです。

──クラシックのアンサンブルでも、即興的なことって役に立つんですか?

加藤:本番なんて特に、「ピアノめっちゃ走るじゃん!」「いつもだったらはっきり弾く“タンタタ”が、今日はさりげないじゃん!」みたいなことがよくあるんですよ(笑) そういうとき、リハーサルで決めたことしか受け入れられないと崩壊する。

何か起こるのは当たり前、いつもと違って当たり前。そう思うと、日々のリハーサルの過ごし方も変わってきますよね。私の音楽を周りの共演者は受け入れてくれる、っていう信頼感が生まれていく。いい音楽家と言われる人は、本番でも柔軟な発想ができるし、うろたえないんです。

インプロ・りぶる『鍵盤とヴァイオリンでとことん遊ぶ会』より
作曲家・野村誠さんと

──クラシックはとくに、伝統を受け継ぐ意識が強いですよね。即興的な発想が生まれにくいのは、そういうところも関係してるんでしょうか。

加藤:私も、クラシックや現代音楽という歴史の積み重ねに、少しは触れてきたつもりです。でも、伝統を受け継ぐ意識だけが強くなってしまうと、演奏家ひとりひとりの尊厳が無視されやすい。「演奏者のエゴは見たくない。演奏家は作曲家の意図を翻訳するのが役割で、ただ音楽を再現するべき」みたいな話は、その極致ですよね。

誰かの曲を使って自分自身を表現する、ってわけじゃないんです。他人の作品や意図を尊重して演奏するけども、だからといって演奏者自身の尊厳、人ひとりとしての何かが損なわれていいとは、全く思わない。それは絶対おかしい。演奏という意味でも、仕事や人間関係という意味でも、即興みたいな発想は、そのバランスをととのえてくれるんじゃないか、って考えてます。

──伝統的な美をやりつつも、その人らしさが出たときに、そのアーティストの魅力みたいなものが出るという。

加藤:そうそう。いいアーティストは、自分だけじゃなく他人の個性もリスペクトしてくれるよね。ただ、やたらと個性や「その人らしさ」を強調するマーケティングは考え物で、アーティストを消費することになっちゃう。難しい問題です。

Photo:Kazutaka Monden

「わかる/わからない」だけで判断することの危うさ──パフォーマンスの中身を弄らずにできること

──即興や現代音楽の話に移ると、「どうやって見たらいいかわからない」とか「何をやってるのかわからない」とか、とにかく「わからない問題」がつきまといますよね。

加藤:何が起こるかわからない状態が、まず苦痛なんですよね。安心できないから。多くのお客さんは、目の前のパフォーマンスを「わからなきゃいけない」って意識を持ってるんだけど、本当は「わかる/わからないだけで判断しなくていい」ってことを伝えていかなくちゃいけない。

私たちにできることは何かっていうと、パフォーマンスの中身を弄ることじゃなくて、公演というパッケージそのものを工夫することなんですよね。たとえば、私たちが当たり前に使う「即興」という言葉が何を指すのか、今日ここで行われることについて、意味を与えすぎない程度にガイドを添える。「楽器の音だけでなく、いろんな音に耳を傾けてみてね」とか、「演奏者の表情や仕草を見てみたら面白いかも」という一言があるかないかで、全然違うでしょう。そこからどう意味付けするのか、解釈するのかはお客さんに任せればいい。

インプロ・りぶる『作品 俳優とヴァイオリニストによるインプロヴィゼーション』より

──実際、加藤さんが作る公演のパンフレットや宣伝素材って、そういうバランスの取り方が丁寧ですよね。ガイドがあることで、今まで意味のあるものしか見たことがなかった人も、「ああ、意味がなくてもいいんだ」って思えるのはすごくいい。

加藤:全部に意味があって“わかっちゃう”と、しんどいじゃないですか。訳がわからなかったり、意味がなかったりしていい。必ずしも誰かと繋がっていなくていいし、何となくここに座ってりゃいい──みたいな場所が必要。「共感」とか「刺さる」という言葉がよく使われるけど、共感できなくていいんですよ。そんなことしなくたっていい場所、時間もあるんです。

逆に「なんだ、わかりやすいじゃん」って食いついたり、見下しちゃうのも危ないですよね。表面がシンプルってだけで、実は、すごく複雑なことをやっていたり、深い理由があってそれをしているかもしれない。「わかる/わからない」で判断すること自体、そもそも危険なんですよ。

あなたが「わからないこと」は、ある人にとっては「よくわかること」かもしれない。世の中の多数の人たちが「これは楽しい、気持ちがいい」って当たり前に共有してることが、実は、「自分たち以外の誰かにとっては楽しくない」かもしれない。即興とか現代音楽とか、わからないって言われちゃうものは、そこに気づくきっかけになるかもね。

ソロ・リサイタル『百鬼夜行』ミュージック・ビデオより

何をしていても、堂々とヴァイオリニストを名乗りたい

──今日はいろいろと面白い話を、ありがとうございました! 最後に、加藤さんの、今後の展望や目標について教えてください。

加藤:実はいまだに、自分で自分を「ヴァイオリニスト」と名乗ることにためらいがあるんです。

──え。本当に?

加藤:ほんとです。なので、いい加減、堂々と「私はヴァイオリニストです」って言える自信を持ちたいです。どんな生き方をしていても「自分はヴァイオリニストだ」って、答えられるようになりたいなあ。

──意外! こんなにも「ヴァイオリニスト」なのに……というより、加藤さんは自分のことをヴァイオリニストって言いたくないのかと思ってました。文章を書いたり公演をつくったり、決まったポジションにおさまらない印象があったので。

加藤:端から見るとそうなのかあ(笑) 自分の中では、物心ついたときからヴァイオリンをやっていて、どうしても生活の、人生の中心にヴァイオリンがある。嫌いだ、やめたいと、何度も死ぬほど思ったけど、それでもどうしても、ヴァイオリンがある。何をしていてもヴァイオリニストっていう感覚から逃れられないんです。

私はいま、バイトもしてるし文章の仕事もしてるし、それらを副業として仕方なくやってるのかって言われたら、まったく、そんなことはない。ヴァイオリニストという自分の中の、大事な一部として入っちゃってるんだよね。世の中で音楽家や演奏家って言ったら、音楽一本で食っていく人、音楽だけがすべての人、みたいなイメージが強いんだけど、そんな人ばかりじゃないんです。

ヴァイオリニストや音楽家という言葉は、いくつものレイヤーを含んでいる。いろんなことをしながら生きているヴァイオリニストがいるってことを、もっと訴えたいです。

やまびこラボ『第2回 子ども(と大人)のためのさっきょくワークショップ』より

──何をしていても、どんな仕事をしていても、ヴァイオリニストとして取り組んでいる、ってことですか?

加藤:そうそう。犬の散歩しててもトイレしてても、私はヴァイオリン弾いてます、ヴァイオリニストですって言いたい。音楽家とか俳優とか、いわゆるアーティストに括られる人間って、どうしても特別な人扱いされがちじゃない? 一つのことに取り組んでるスーパーサイヤ人、みたいな。でも、その取り組み方って人によって違うから!

1日24時間、ずーっとヴァイオリンを弾ける人もいれば、楽器弾いたり教えたり会社行ったり、いろいろしながら、でも中心にヴァイオリンがあるって人もいる。そういうことを、説得力をもって共有できたらいいですね。

──それ、すごくいいですね。これからも“ヴァイオリニスト”として、がんばってください! 今日はありがとうございました!

加藤:こちらこそ、ずいぶんお付き合いしていただきました。ありがとう!

Photo:Kazutaka Monden

(取材・文字起こし:岡本唯)
(編集・校正:加藤綾子)
(サムネイル写真:門田和峻)