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自分の心が動き、感じたことを描く──「ぱぷりか」岡本唯が目指す俳優の姿【前編】

劇団「ぱぷりか」に所属し、演劇に音楽、即興など活躍の幅を広げている気鋭の俳優、岡本唯(おかもと ゆい)さん。

快活で自然な演技、エネルギッシュなヴォイス、そして空間を自由に使う立ち振る舞い──彼女のパフォーマンスや、クリエイションの発想はどのようにして生まれたのか?

前半では、岡本さんにとって演劇・音楽のルーツとして刻まれた劇団「時々自動」との衝撃の出会い、物語演劇とそうでない演劇という考え方、ぱぷりかへの入団について語っていただきました。

撮影:堀山俊紀

岡本唯(おかもと ゆい)- 俳優

2012年ごろより小劇場を中心に俳優の活動をはじめ、「時々自動」のメンバーとなる。
主宰の朝比奈尚行に師事し、楽器演奏や歌、漫談、ダンス、映像制作などに取り組む。
2022年からは「ぱぷりか」に俳優として所属。主に会話劇を中心とし、主宰の福名理穂とともに、人との繋がりの中で生まれる機微を丁寧に描き出す作品を目指している。
ガールズロックバンド「YKK」ではギターボーカルを担当。他にも加藤綾子との即興ユニット「てて」での創作や現代音楽のコンサートへの出演など、表現の垣根を超え幅広く活動している。
アップスアカデミーにて一年次修了。

こんなことを考える大人がいるなんて! 中学時代「時々自動」との衝撃の出会い

Photo:Kazutaka Monden

──現在、劇団「ぱぷりか」の俳優として飛び回る岡本唯さんですが、演劇に触れたきっかけは何でしたか?

岡本:小学校6年生のころ、クラスで仲良くなった子に誘われて、演劇ダンスクラブに入ったんですね。でも、そこでは《マツケンサンバ》みたいなダンスしかできなくて、全然、演劇をやらせてもらえなかったんです。それが心残りで、中学では新入生勧誘も見ないで、演劇部に入部届を提出しました。

──即決ですね(笑) 当時から演劇に惹かれるきっかけや理由があったのでしょうか。

岡本:いや、特にはなかったんじゃないかな。単純に、小学校でダンスしかやれなかったことが悔やまれただけで、何かに衝撃を受けた、みたいな記憶はないです。あ、でも、学芸会は楽しかったな。たくさんいる子どもたちの中の1人で、ゴミ袋をかぶってるような役だったんだけど(笑)

Photo:Kazutaka Monden

──その後、岡本さんの演劇活動はどのように発展していったのでしょう?

岡本:中学3年生ぐらいのとき、「職業調べ」っていう、自分が興味のある仕事をしている大人にインタビューする宿題が出されたんです。それで、ご近所さん繋がりでたまたま見に行ったのが、劇団「時々自動」の公演でした。

──中学生で時々自動に出会ったんですか! それは強烈な体験ですね。時々自動は、一般的に想像する演劇とは、一味違う作品を作る劇団だと伺っています。

岡本唯:時々自動はいわゆる「物語演劇」じゃなくて、ダンスや音楽をメインにして、コラージュするような形で演劇を作ってるんですね。初めて見た時々自動のパフォーマンスは、『うたのエリア–1』という、性愛をテーマにしたものでした。後ろから強い光を当てられたヌードの女性3人のシルエットが、すごく美しくて……「なんだこれ! こんなこと考えてる大人がいるんだ!」って、衝撃でした。

それまで、周りの大人には両親や先生しかいなかったし、彼らが本当は何を考えてるかなんてわからなかった。でも、時々自動で等身大の大人たちが、性のことを赤裸々に、ポップに、美しくやっていたのが、かっこよかったんです。

以来、時々自動にはまっちゃって、ずっと関わり続けてました。中学校のセーラー服姿で道具作りを手伝いに行ったり。入団したのは、大学生になってからでしたね。

音楽公演と似ている? 「時々自動」で体験した、物語を描かない演劇

時々自動『時々展覧会』楽屋にて
撮影:パーラー

──「物語演劇」ということばが出てきましたが、そもそも、演劇とは物語のあるものだと思っている人も多い気がします。岡本さんがあえてそういった呼び方をされるのには、理由があるのでしょうか。

岡本:物語演劇という呼び方は、時々自動を主宰する朝比奈尚行(あさひな なおゆき)さんが使っていた記憶があります。テレビドラマや映画でよく見るスタイル……「A」っていう役があったら、初めから終わりまで「A」は「A」であり続けるし、「A」が◯◯したから××になった、っていう、物語を描く形式のことだね。

時々自動では、「最後はこんな感動的なことが起きて〜」みたいな、脈絡のあることはあまり起きなくて、音楽やダンス、映像、いろんなパフォーマンスがぶつ切りで挿入されるんです。繋がりがあるとすれば、それは作品全体のテーマなんです。

たとえば、時々自動の出演者はみんな、出演者本人として登場することが多いんだよね。「A」役みたいに、決められたキャラクターや立場、決められた名前の別人を演じることは、あんまりない。私も時々自動に「◯◯役」で出たことがなくて、プロフィールの出演歴には「本人役」って書くしかなかったり(笑)

──テーマに沿って構成したり、パフォーマンスを選択する。時々自動の演劇の作り方は、音楽系の公演と近いところがあるのでしょうか。

岡本:たしかに時々自動の考え方は、音楽と近いところがあるかも。文章で説明できるような、繋がった物語になってるわけじゃない。でも、大きな文脈で言えば、繋がってないわけじゃない。だから見てる人は、いろいろ想像できる部分があるんじゃないかな。

「物語」って、危険な部分もあるんだよね。いろんなことを丸め込んで、綺麗な形にまとめちゃう。そうじゃなくて、ひとつひとつ、瞬間瞬間の質感みたいなものを切り出して、並べていく。説明が難しいから、時々自動の公演告知をするときはいつも困ってました。ひとことで紹介できないから(笑)

時々自動メンバーとのバンド「YKK」公演より

「ぱぷりか」主宰・福名理穂が作ってくれた場所。物語演劇でないものと会話劇の両輪で

ぱぷりか『どっか行け!クソたいぎい我が人生』より
撮影:堀山俊紀

──岡本さんは、時々自動と同時進行で、劇団「ぱぷりか」とも関わっていたのですよね。ぱぷりかは会話劇を中心とした劇団ですが、こちらはどんな経緯があったのでしょうか。

岡本:大学1年生の時に、ぱぷりかの主宰・福名理穂(ふくな りほ)に出会ったんです。それから20代前半くらいまて、福名の作品には客演として毎回出演してました。

ずっと私は、時々自動では物語に縛られないものを、ぱぷりかでは物語を主軸にした会話劇を、という両輪でやってきたんだよね。時々自動に専念した時期もあったけど、ぱぷりかの作品の質感も好きで、できるだけ関わっていたかった。

何年か前、時々自動の大きなプロジェクトが終わって、ほかの劇団の舞台にも出られなくて悩んでいたら、福名が「ぱぷりかの劇団員になりませんか?」って誘ってくれたんです。ああ、この人は私にお芝居できる場所を作ってくれるんだって、すごくありがたかった。福名は時々自動の公演も見に来てくれていて、ぱぷりかに出ていない間も、私のことを俳優として扱ってくれたんです。「唯ちゃんは時々自動に出てるとき、こういうパフォーマーだよね」って言ってくれたり。

演劇引力廣島『跡先』より
撮影:奥村洋司

──福名さんは、俳優としての岡本さんをずっと見守ってくれていたんですね。時々自動との出会いも、ぱぷりかへの所属も、俳優としてのターニングポイントになっているというか。ところで「お芝居」という言葉が出てきましたが、岡本さんの中では演劇とお芝居は違うものなんでしょうか。

岡本:あくまで私の考えだけど、舞台芸術の大きなカテゴリが演劇で、お芝居は、演劇っていうカテゴリに含まれる、一つのジャンルかな。自分じゃないキャラクターを、自分の体で演じて、セリフや物語の筋がはっきりある。そういう演劇が、お芝居。会話劇も、お芝居とほとんどイコールだと感じてます。

──なるほど。その理論だと、時々自動はお芝居ではない、ということになるんですね。時々自動とぱぷりか、かなり異なる世界を跨いでいるように思えるのですが、岡本さんの中ではどんな感覚なんでしょう?

岡本:私の中では、違うものをやっているという意識が本当にないんです。「空がある、山がある」っていう詩があって、その光景をイメージしながら歌うこと。窓から外を眺めて、あの人が帰る姿をイメージしながら演じること。この2つは、何が違うの? 舞台で何かを感じてやって見せる、その根っこに変わりはないじゃん、って。

セリフの作り方や形式は違うかもしれないけど、使ってるエネルギーや感じてるものは、ほとんど一緒。時々自動で練り上げたものはぱぷりかでも使えるし、ぱぷりかで練り上げたものは時々自動でも使えるんです。ただ、お芝居にはお芝居の筋肉があって、それを鍛えたかったというのも、ぱぷりかに入りたかった理由の一つですね。

(取材・文:加藤綾子)
(サムネイル写真:門田和峻)