難しいからこそたまらない──近藤圭または『天才思想家bot』が語る、ホルンと現代音楽の面白さ【前編】

バルブホルン、ナチュラルホルン、狩猟ホルン……さまざまな形のホルンを操り、現代音楽や新作初演、即興、はてはJ-POPまで演奏してしまう、鬼才のホルン奏者・近藤圭(こんどうけい)さん。

あるときはホルン奏者、あるときはSNSアカウント『天才思想家bot』として活躍する近藤さんのルーツは、一体どこからきたのか? そして、近藤さんが取り憑かれてやまない、現代音楽やホルンの魅力とはどんなものなのか? 前後編、たっぷり語っていただきます!

近藤圭(こんどう けい)- ホルン奏者

1989年東京生まれ。現代曲のホルン演奏を中心に活動を展開している。
金沢青児ブリテン・カンティクル全曲演奏会、ゼミソン・ダリル木管五重奏演奏会、愛知県立芸術大学ドクトラルコンサート等、日本初演・世界初演の機会に招聘されるホルン奏者として、活動の場を広げている。
Twitter上では「天才思想家bot」のアカウント名で、ナチュラルホルンを含めたホルン特殊奏法の実践的研究の成果を、動画で日々投稿している。

エレクトーン、ホルン、そしてリゲティとの出会い

Photo by Kazutaka Monden

──クラシックや現代音楽、ポップスなど、幅広いジャンルを演奏されている近藤さんですが、はじめて音楽に触れたきっかけは何でしたか?

近藤:5歳くらいの頃、親戚からエレクトーンを譲ってもらったことです。そこからエレクトーンのレッスンに通うようになり、コードの付け方も習いました。もう少し深堀りしたかったんですが、さわりだけで終わってしまいましたね。

──コード付けというシンプルな行為ですが、幼い頃から作曲や即興的な行為に触れていたのですね。そこからホルンに出会ったきっかけは?

近藤: 中学校のオーケストラ部に入って、じゃんけんで負けたからです(笑) オーケストラ部を選んだのは、音楽系の部活がそれしかなかったから。

第1志望はクラリネットで、オーボエが第2志望。ホルンは第3志望でした。だからホルンになって、すごく悔しい思いをした覚えがあります。クラリネットをやる気満々だったので、リードも買ってたんですよ。まあ、管楽器をやってる人って大体、そうやって運命が決まっていくものなので(笑)

──そういうものですか(笑) ホルンといえば、クラシックのオーケストラや吹奏楽の中にいるイメージが強いですよね。現代音楽という選択肢を発見するまで、どんな経緯があったんですか?

近藤:大学に進んでから、オーケストラから離れたホルンにはどんな可能性がありうるのか、少人数、あるいは1人でホルンを楽しむにはどんな方法があるのか、と考えるようになったんですね。

ホルンって、オーケストラに参加してるときはすごく楽しいんです。でも、1人で自分のパートだけをさらい続けることには、あまりやりがいを感じられなくて……室内楽という選択もありましたが、無伴奏でホルンを吹くなら、現代曲のレパートリーがいちばん充実していたんです。特にホルンの現代曲を演奏している人はかなり少なくて、それが寂しくもある一方、やりがいにも繋がりましたね。

あとは、子供の頃から作曲に興味を持っていたことや、大学で作曲を学んだり、自分で現代曲を書いた経験も、理由の一つですかね。

──その頃、とくに研究した作曲家はいますか?

近藤:ジョルジュ・リゲティですね。というのも、現代音楽にハマるきっかけの一つが、リゲティの《ヴァイオリンとピアノとホルンのための三重奏》でした。その譜面を見て「なんじゃこりゃ」って驚愕したんですよ。オーケストラや古典的レパートリーではありえない音の並びに、音程。ヴァイオリンもピアノも、意味のわからないことをずっとやってる。そうか、こういう世界があるのかって、すごく衝撃的で。

最初は全く理解できなかったけど、さらっているうちに「なるほど!」と思うようになりました。初めのうちは、極端に高い音は「ギャグかな?」*微分音を使い倒してくるところは「一発ネタかな?」とか思いながら楽譜を眺めてたんですけど(笑) 何度もさらっていると、一音一音に必然性があって、不思議な音程とリズム、そしてホルンの使い方が一つの世界観を作っていることがわかり、新しい可能性を見せつけられました。

いくらさらってもさらっても終わらない。現代音楽の譜面は、自分にとってずっと向き合っていられるものだったんです。

*微分音……クラシック音楽で主に用いられている十二音にはまらない音程、またはその音程で鳴っている音。ホルンは比較的容易に微分音を出すことができる。

“邪道”を進むからこそ“王道”の見方も変わる

Photo by Kazutaka Monden

──大学卒業後は、しばらく社会人として働かれて、それから今度は学芸大学に入られたのですよね。

近藤:そうです。学芸大では作曲科に入りました。現代曲の作曲やオーケストラのアレンジをやりつつ、ホルンの演奏も並行していた感じでしたね。

──クラシックのオーケストラに現代音楽のソロ、演奏に作編曲と、勉強してきた音楽の内容がとても幅広いですね。

近藤:うーん、まあ幅は広いんですけど……一つ一つをきちんと勉強してこなかったことは、自分でも反省しています。

これだけ「1人でできること」とか言いましたけど、やっぱり心の底では「ホルンはオーケストラの中で鳴るのが一番かっこいい」と思ってるんですよね(笑) 特にクラシックの主要なレパートリー──古典派やロマン派と言われるような時代の楽曲は、もう少し深掘りすべきだったかもしれません。

こういう言い方はあまりしたくないんですが、クラシックの古典的なレパートリーからすると、現代音楽は、いわゆる“王道”に対する“邪道”みたいに括られることもあります。でも、現代音楽をやっているからこそ、“王道”の楽曲が100年、200年……と残っている理由が、わかるようになってきました。古典的なレパートリーへのリスペクトは、ますますかき立てられていますね。

クラシックを聴きにきた人たちを唖然とさせたい。現代音楽の演奏でいちばん楽しい瞬間

──そもそも「現代音楽」ということばは、常に議論を呼ぶわけですが……近藤さんは「現代音楽」はどういう意味だと思われますか?

近藤:単純に、ひとつのジャンルじゃないですかね。“現代”音楽なのにもう80年も前の曲じゃん、みたいなツッコミもありますけど、ロックとかジャズとか演歌とか、そういう呼び方と同じ、ジャンルを指すことばだと思ってます。

──80年前のものから、まさに今現在のものも含めたひとつのジャンルが、「現代音楽」だと。

近藤: そうそう。本当に、ただのジャンル。ただ、一口に「現代音楽」といっても、ロックやジャズの中にいろんなプレイヤーがいるように、あまりひとくくりにしない方がいいでしょうね。

Photo by Kazutaka Monden

──なるほど。では近藤さんが、その現代音楽をやっていて「楽しい」と思う瞬間は?

近藤:それはやっぱり、無伴奏の現代曲をお客さんに聴かせて、唖然とさせた瞬間ですよね。今この7分間、いったい何が起こってたんだ? 今のは曲だったのか? っていう、あの瞬間がいちばん楽しいです(笑)

──(笑) それは近藤さんのリサイタルでのことでしょうか?

近藤:いや、自分のリサイタルには「現代音楽」に慣れ親しんだ人がほとんどなので(笑)その演奏会では、 ハインツ・ホリガーの《激情~夢~ ホルン・ソロのための》をやりました。リヒャルト・シュトラウスの《ホルン協奏曲》との抱き合わせで。よく知られたクラシックの曲と、ホリガーの楽器をバリバリ鳴らす楽曲を一緒に演奏したので、みんな唖然としてましたね。クラシック音楽を聴きに来た人たちに現代音楽を聴かせて、「は?」って顔をされるのが一番楽しい(笑)

──たしかに、それは楽しそう……! 現代音楽や即興演奏は「わからない」と言われることもありますが、思いがけない展開との出会いがあったり、「わからない」からこそちょうどいい距離感もありますよね。

近藤:例えば演劇でいうと、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』は、シェイクスピアの時代から見たら「なんじゃこりゃ」の世界じゃないですか。大きなストーリーの起伏があったり、人間模様を描いたりするわけじゃなく、ただ待って終わり。

少し前のアニメでいうなら『エヴァンゲリオン』も、最後は抽象画みたいな展開になって、ストーリーは「結局なんだったんだ?」という状態で終わる。でも、それがものすごい人気を博したわけです。「わからない」状態は、爆発的な人気を生み出す可能性があるんですよ。

新曲のリハーサルは、さらいこんで固めないほうがいいこともある

『現代曲ホルンリサイタル”問う” 第4回 「ホルン+α」』より

──近藤さんが主催する企画は、クラシック音楽から現代音楽まで多岐に渡りますが、「ソロ」や「ホルン+α」など、コンセプトがとてもはっきりしていますよね。企画のテーマやコンセプトはどのように決めているんですか?

近藤:そのときの気分で決めることが多いですね。あと、自分の中で「こういうのをやりたい」って、漠然と抱えているものを形にしてるかな。ただ、やりたい音楽を最優先にして突っ走る! ということが、良くも悪くもできないんですよね……やるんだったら、派手に宣伝して派手に注目されたい。演奏のクオリティも担保したい。お客さんもたくさん来てほしい。コンセプトもまとまったものを、って(笑)

それくらいちゃんと企画すると、聴きにきてくれるお客さんは自然と増えるし、自分の演奏スキルも必然的に成長していく。コンセプトが固まっているからこそ、練習する方向性がわかるし、お客さんも注目してくれる。相乗効果なんです。ただ、いろんなことを考えすぎて、腰が重くなってしまうのは良くないですね。一番いいのは、「毎年この時期はこの公演をやる」って決めて、ライフワークにしていくことかもしれません。

──なるほど。そのコンセプトありきで、誰にどんな新曲を委嘱するかも考えていくんですね。

近藤: そうですね。狭い世界なので、親しい人に作曲をお願いすることも多いです。作品によっては楽譜も出版されていますし。

──「1人でやれること」というモチベーションから始まって、いまは作曲家の方と協働する形になっているわけですが、やはり、作曲者本人とのコミュニケーションやリハーサルでは気を遣いますか?

近藤: 最近、あんまり気にしなくなりました。よくないと思うんですけど。

──よくないんですね(笑)

近藤: よくないですよ(笑) 「ちゃんと練習していかないとな〜」とか、「譜読み終わってないけど、どう弁解しようかな〜」とか、そんなことを考えるようになりました(笑) でも意外と、そのくらいの状態でリハーサルに臨む方が良いこともあるんです。

7連音符とか11連音符とか、見たこともないような音符をきっちりさらって、「これ以外の吹き方はできません!」って固めてしまうのも、それはそれで問題だったりする。ふわっとこんな感じかな、くらいのところで収めておいて、まあ、しこたま駄目出しを食らうときもあるし、すんなり進むときもある。場合によって、いろいろですよね。

(取材・文:加藤綾子)
(サムネイル写真:門田和峻)