オチをつけたくなる病──即興演奏が終わる瞬間とは?

「A→B→A」という音楽の構成スタイルがあります。

これは主に西洋音楽的な作曲で頻繁に使われる形式です(現代のポップスなどはもちろん、音楽以外の表現分野でも使われているはずです)。間の「B」の部分は、「B」から「C」、「C」から「D」へと、どんどん発展しても構いません。

大事なことは、最初に提示した「A」が、最後にまた表れて、その演奏又は作品を終えるという点です。これを、私は「オチをつける」と呼んでいます。

この「オチをつける」、即興演奏においては非常に便利です。大きな理由は二つあります。①観客にわかりやすく終わりが伝わり、なんとなく説得力がある。②──これがもっとも重要です──共演者にも、わかりやすく終わりが伝わる。

私は学生時代、即興演奏講座という、簡単にいうと「フリー・インプロヴィゼーション」授業がありました。そこで習ったことばのひとつに「(即興演奏中は)自分の足跡を振り返れ」というものがあります。つまり、ひとつの即興演奏の始まりから終わりまで、自分が何をしてきたのかよく覚えておきなさい、ということです。

こうすることで(少なくともその演奏中は)マンネリ化を防ぐことができるし、あるいは、いちど使った要素を引っ張り出して演奏を発展させることもできるわけです。「オチをつける」は後者にあたります。

(そもそも演奏を発展させなくてもいい、という発想もあります。今回の話は、かなり古典に寄った西洋音楽的な発想かもしれません)

もちろんあまりにも長時間にわたる即興演奏の場合、自分や共演者がすべてを覚えていられるわけではありません。これは、遭難中の山中みたいなもので、1箇所でも樹に印をつけておけば、またそこを手がかりに別の方角に進んで行けたり、そこにとどまって終わることもできるわけです。

「オチをつける」、これは、フリー・インプロヴィゼーションにおいてとても便利な手法です。

しかし、困ったことがあります。これをやりすぎると、なんでもオチをつけたくなる病にかかります。

先ほどもチラリと書いた通り、これは、かなり古典的な西洋の音楽っぽい発想です。私は、この、常に足跡を振り返る癖をつけた結果──もちろんそれは、よい点のほうが多いのですが──オチをつけない、発展させない、というフリー・インプロヴィゼーションが、むずかしいと感じるようになりました。

オチをつけることなく、共演者に、観客に、場の「空気」に、終演を告げること。これが目下、私の課題です。まずはこの記事にオチをつけず終わることとします。