「フリー・インプロヴィゼーション」ということばを、いま、私たちはどうとらえればよいのか?
これは、フリー・インプロヴィゼーション、そして「即興演奏」に足を踏み入れようとしている人に、はじめに読んでみてほしい記事です。
「自由な即興」──フリー・インプロヴィゼーションとは?
「フリー・インプロヴィゼーション」は、はっきりと定義することが本当に難しいことばです。
フリーと呼ぶ人もいれば完全即興、単に即興と呼ぶ人もいる。あるいは、ジャンルを指したり、手法を指したり、思想を指すものだという人もいる。……十人に訊ねたら、きっと十の答えがかえってくるでしょう。それくらい、ひとによって思い描く「フリー・インプロヴィゼーション」は違います。
そこで本記事では、もっとも単純で、わかりやすいであろう、「フリー・インプロヴィゼーション」のとらえ方を提案します。すなわち……
文字通り「自由な即興」のこと
「そのまんまじゃないか」「そもそも即興演奏って、自由なものでしょ?」と思うかもしれません。でも、本当にそうでしょうか?
そもそも、インプロヴィゼーションは即興“演奏”とは限らない
ここで一旦、フリー・インプロヴィゼーションのことは忘れて、「インプロヴィゼーション」ということばだけを切り抜いてください。あなたはいったい何を想像しますか?
- ジャズの「アドリブ」
- コード譜を読みながら即興演奏
- クラシックなど、西洋の古い音楽での装飾的即興演奏
- 音楽教育・幼児教育等で用いられる即興演奏
などなど……音楽関連でちょっと思いつくだけでも、多岐にわたります。
そして重要なこと。「インプロヴィゼーション Improvisation」ということばの意味は、「即興」です。即興“演奏”ではないのです。
音楽からフリー・インプロヴィゼーションや即興演奏に興味を持った人は失念しがちですが、「インプロヴィゼーション」と言った時、そこには“演奏”だけでなく、踊りや演劇・さまざまな表現分野が含まれているのです。
“言語”を持つ即興──ジャズ、クラシック音楽の装飾、踊り等
いずれにせよ、これらの即興(インプロ)には、とある共通点があります。
それは、“言語”の存在です。「ルール」「スタイル」などと言い換えることもできます。
例えば、ジャズにはスタンダードと呼ばれる楽曲があります。この楽曲のメロディやコードネームにのっとって、どんなアドリブを繰り広げるのか──というのが、ジャズのスタイルです*1。
つまり、ジャズのアドリブは「ジャズ語」で即興をするし、ダンスのインプロヴィゼーションは「ダンス語」で即興をするし、クラシック音楽の装飾的即興演奏は「クラシック語」で即興をするのです。
*1 もちろん、ジャズと一口に言ってもさまざまなスタイルがあります。これはほんの一例です。
“言語”があっても、なくてもいい即興──フリー・インプロヴィゼーション
対して、スタイルやルールがあってもなくてもいいし、違う言語同士が混ざってもいい、あるいは、何語かわからない・会話にならないようにする即興。
ジャズとクラシック。音楽と踊り。お芝居と身体表現。どんな可能性だってありうる即興。
それが、現在行われている「フリー・インプロヴィゼーション」だと思ってください。
例えば、ビートもハーモニーも存在しない電子音楽に、ヴァイオリンがドレミで参加することだってできる。
あるいは、そもそもドレミを知らない子どもが行っている音楽(音楽、とすら思っていないかもしれません)。
そして、絶対に忘れてはいけないこと──「インプロヴィゼーション」は音楽に限らず、ありとあらゆる表現行為を含んでいます。
プレイヤーが、プレイヤー自身の好きなことばを選び(あるいは選ばず)、自由に表現する行為。
それが「自由な即興」、フリー・インプロヴィゼーションなのです。
ひとつだけ、誤解のないように付け加えておきたいことがあります。
即興を「言語的か非言語的か」で分類したのは、この記事が初めてではありません。
- 言語にのっとった即興と、言語にのっとらない即興
- 「何語かわからない」フリー・インプロヴィゼーション
これらは、デレク・ベイリーというギタリストが自著「インプロヴィゼーション──即興演奏の彼方へ」*2で提示した考えです。この考えは現在に至るまで、インプロヴァイザー(即興パフォーマンスを行う人たち)に影響を与えています。
この書籍はもう40年前に出版されたものですが、デレク・ベイリーは、即興を言語や語法にのっとっているか否かで分類する、という考えを(おそらくは)初めて文章にした人であり、「フリー・インプロヴィゼーション」を一つの(音楽)ジャンルにまで成長させた、とも言える人です。
もっといえば、ベイリーやその同世代で実践されていた「フリー」は、よりストイックな“自由”を求めていたのですが……それはぜひ、この本を読んで確かめてください。
この本はフリー・インプロヴィゼーションだけでなく、世界中に存在するたくさんの「即興」を知るきっかけになるはずです。ぜひ手に取ってみてください。
*2 ちなみに、この本では言語的な即興をイディオマティック・インプロヴィゼーション、非言語的な即興を非イディオマティック・インプロヴィゼーションと呼んでいます。ちょっと長いので、本記事では「言語的」「非言語的」と置き換えました。
デレク・ベイリーと、そのフリー・インプロヴィゼーションについて知りたい人のためのブックガイドまとめ: 「自由な即興」を入り口に、フリー・インプロヴィゼーションの世界へ
「フリー・インプロヴィゼーション」ということばを、いま、私たちはどうとらえればよいのか? ──最後に、その答えをまとめてみましょう。
- 「インプロヴィゼーション」の意味は「即興」。即興“演奏”だけを指すことばではない
- あらゆる即興には、言語的な即興と、言語があっても、なくてもいい即興が存在する
- フリー・インプロヴィゼーションは、言語があっても、なくてもいい即興にあたる
- つまりフリー・インプロヴィゼーションとは、いろんな意味で「“自由な”即興」と言える
十人十色・「フリー・インプロ」
フリー・インプロヴィゼーションとは、広く「自由な即興」のこと。でもこれは、あくまでひとつの提案にすぎません。
繰り返しになりますが、いま、すくなくとも日本の一部の音楽シーンにおいては、「フリー・インプロヴィゼーション」ということばは、人それぞれの主観で扱われており、はっきり定義することはとても難しくなっています。
完全即興?即興演奏? フリー・インプロヴィゼーション、呼び方あれこれ本記事で提案したこたえは、あくまで、フリー・インプロ初心者に向けた、最大公約数的な回答であることを、どうか踏まえておいてください。
ですがそれは、初心者向けだからと侮ったり、いい加減なことを記したという意味ではありません。
たとえばデレク・ベイリー。たとえば“演奏”ではない即興。たとえばクラシック音楽とフリー・インプロ。たとえば、いま日本国内で活躍しているフリー・インプロのプレイヤーたち。
フリー・インプロヴィゼーションの道筋は、数え切れないほど枝分かれしてゆきます。あなたが、どの道筋にも臆することなく歩みを進めて行けるよう──フリー・インプロはもちろん、この世界にあまた存在する「即興」への扉を開くための、合言葉。
この合言葉が、あなたにとって、あたらしい音楽、表現の世界の扉を開くことを願ってやみません。