執筆者: 松岡大輔
前回の記事で「両足でまっすぐ立つ女性」について書きました。今回はこの女性の姿勢を起点に、「内なる規律」と「自由な動き」の関係について考えます。
【連載】即興ワークショップ体験談④ – 体の自由について「内なる規律」とは? 外から与えられ、私たちの内に染み付いたもの
まず、「内なる規律」について説明しましょう。私たちは重力に支配されているので、両足で直立する姿勢は、必ずしも自然なものとは限りません。しかしこの姿勢は、人間として社会生活を送っていく上での「正しい姿勢」として、幼少期から身体に教え込まれていきます。
件のワークショップに参加していた彼女は、即興ダンスの場においても、そういった社会生活上の規律にごく自然に従っていました。自由に振る舞って良いはずの即興ダンスの場において、です。
おそらく、このときの彼女は、自分の姿勢を外から与えられた規律と捉えることもなかったと考えられます。このような、幼い頃から教育され、身体に染み込んだルールを、今回は「内なる規律」と呼んでみることにします。
摩擦や抵抗を伴う自由
即興ダンスの醍醐味は、ルールや規則がなく、自由であることです。……と言うのは簡単ですが、それは実際、どういう状態なのでしょうか?
たとえば、この「内なる規律」からの解放という表現ができるかもしれません。自分を統制し、無意識のうちに拘束している様々なルールや規律――身体的なものであれ、そうではないものであれ――が決して絶対ではないと知り、それを破る。その瞬間の摩擦や抵抗の感覚に、私たちは「自由」の実現を感じ取ることができます。
この摩擦や抵抗を伴う自由の感覚は、いったん知ってしまえばしめたもので、これまで自分を無意識のうちに縛っていたものは一体なんだったのかという、あっけなさすら覚えます。
即興ダンスのワークショップに通ううちに、ひとがちょっとしたきっかけで大きく変化する瞬間を何度か目にしました。特に子供や若者たちは、社会的な判断力が未熟と見做され、必要な知識や身体のあり方を教育されます。「両足で直立する姿勢」も、そういった教育の結果のひとつでしょう。
「なぜ?」と疑問に思うこともないまま身体に刷り込まれた規律から、なにかの拍子に解放される。これはある意味ではとんでもないことです。もちろん、ただ「ルールを破れ、規律を破棄しろ」と声高に煽るのでは、マインド・コントロールになりかねません。基本的には当事者自身が、内面を重視した運動を通じて、徐々に身体の癖やこわばりを意識し、その理由に深くアプローチしていく。その過程で、自分の内なる規律に気づくのです。
規律を受け入れて社会生活を送っている自身の身体──これは運動する身体という意味だけでなく、様々な感覚や思考のあり方まで含みます──と丁寧に向き合い、自分が受け入れている規律を知り、束の間、自由に動く。このときの、自らが当たり前に受け入れているものとぶつかって、摩擦し、抵抗するような感覚が、言葉では表現しづらい「自由」の感覚のひとつといえるでしょう。それゆえに即興ダンスはスリリングであり、解放的であり、快感ですらあります。あの静かなワークショップで、こんな驚くようなことが実践されていたのです。
信頼しあう場所と人々が必要
社会生活を送るための規律を「外」から与えられ、自身の身体の「内」に取り込んで生活している私たちが、その内なる規律──言い換えれば、「内なる外」に気づき、まっさらだったころの自分を解放する。これはとても大事なことでもあり、危険なことでもあります。
経験豊富なワークショップ・リーダーの存在が不可欠だし、周囲の他人と場を互いに支え合い、信頼しあう関係性が重要です。「ここなら床に倒れても大丈夫」「ここなら誰にも笑われないし咎められない」という安心感が根本になければなりません。このような場作りに尽力しておられた関係者の方々には、あらためて感謝と敬意を表したい気持ちです。