さまざまなホルンを操り、現代音楽や即興演奏、はてはJ-POPまで演奏してしまう、鬼才のホルン奏者・近藤圭(こんどうけい)さんに、現代音楽やホルンの魅力を語っていただくインタビュー。
後編では、SNSアカウント『天才思想家bot』の運営や、「ホルンをやっていて楽しい瞬間」という素朴な疑問、そして、近藤さんの今後の展望を聞いていきます。
「現代音楽は高額な壺じゃない」SNSでの試み──天才思想家botとしての活動
──ホルン奏者、あるいは現代音楽奏者としてのお話を伺ってきましたが、近藤さんといえばもうひとつ、SNSアカウント『天才思想家bot』としての顔が思い浮かびます。こちらの活動はどんな経緯で始められたのでしょうか?
近藤: 学芸大学に入る前、社会人として働いていた頃から「この現代音楽の面白さを、どうやって人に伝えればいいんだろう?」と悩んでいました。
ホルンを勉強している周りの人たちは、クラシックの“王道”なレパートリーを熱心に研究して、演奏会に通う。彼らに「クラシックだけじゃない面白さもあるんだよ」とすすめるには、どうすればいいのか。伝え方を間違えると、高額な壺を売りつけるような印象になりかねない。「これは壺じゃなくって、ちゃんとした器として使えるんですよ」と伝えたいのに、なかなか方法を見いだせずにいました。
でも結局、方法も何もあったもんじゃなかったんです。とりあえず喋ってみる、伝えてみるところから始める必要があって、方法は二の次。そうしていろんなことを試しているうちに、ふと、SNSでの発信と相性がいいことに気がついたんです。そこから、ホルンの特殊な奏法を動画に撮ってはTwitterに投稿していく、ということを始めました。
──ポストホルンや狩猟ホルン、ナチュラルホルンも、その流れで演奏するように?
近藤: そうです。最初に買ったのは、ナチュラルホルンでした。元々興味があったし、安いものだと手頃な値段で買えるので。あとはノリでやっていきましたね。ナチュラルホルンが意外と何でもできることを伝えるには、クラシックのレパートリーよりJ-POPを吹く方が注目されるんじゃないか、とか。
特に、Twitter(現X)みたいな拡散力のある媒体だと、ネタっぽい要素を入れることで閲覧数も増えやすい。普通とはちょっと違う側面からホルンにスポットを当てる、ということが、自分でも面白がりながらできるようになりました。一時期、たぶん誰よりもナチュラルホルンの動画をTwitterに投下していた人だと思います(笑) もちろん、自分よりもっと上手い演奏をする人はいくらでもいる。だからこそ「とりあえず数打ってみるか」という感覚でやっていましたね。
──『天才思想家bot』の投稿は、きわどいネタを扱いながらもクスッとできる、絶妙な塩梅に感じていました。
近藤: そのあたりはけっこう意識しています。SNSは炎上しやすいので、センシティブな話題を扱うなら、人の不快感を煽る可能性を考えなくちゃいけない。そこにやっぱり、ユーモアが必要なんですよね。ユーモアと、さらに技術を加えている内容だと、わりあい人に面白がってもらえる感覚でした。
だからこそ、動画を連発しづらくもあります。「これ、誰か気にするんじゃないかな」とか「今の演奏、下手だよなあ」とか思い始めると、どんどん動画を投稿するハードルが上がっていってしまうので……人の目を気にしすぎるのも問題かな。
──それだけSNSの発信に力を入れながら、公演の企画もするのはかなり大変なことですよね。
近藤:企画公演のフォーマルさと、SNSで見せているネタっぽさを、結構住み分けちゃってるんですが……本当は、もうちょっと一体化する方がいいんでしょうね。
人が面白がってくれる、馬鹿馬鹿しさみたいなものも大事にしたい。かといってそれだけでは、演奏技術がどんどん落ちて、先人や作曲家へのリスペクトも失われていく。やっぱり、既存の曲に向き合う時間と経験も必要です。あと当然ながら、SNSの投稿を見てもらうことと、生で演奏会を開いて聴いてもらうことは、全然意味合いが違う。
公演の企画とSNSの発信。この2つは並行していくのが理想ですが、なかなか体力的・精神的に保たないときがありますね。
ここまで練習しても、間違える。ホルンでしか味わえない瞬間
──ところで、ここまでお話を伺っていて思い浮かんだ素朴な質問ですが、ホルンをやっていて楽しい瞬間はどんなときですか?
近藤:それはもう、間違えるときですよね。はい。
──ええと。それは「次はもっと頑張るぞ」というモチベーションにつながる、みたいな意味でしょうか?
近藤:違うんですよ。難しいと言われているこの楽器を、これでもかというくらいさらいこんで、「ついに自分はこの楽器をマスターしたぞ」と意気揚々と本番に臨み、そして、間違える。「ああ、ここまでやっても間違えるんだ……」みたいな、あの瞬間。これは他の楽器ではなかなか味わえないんです。
ちょっと専門的な話になってしまいますが、管楽器は、基本的に指で音程を取っていきます。リコーダーなら、指先で穴を開けたり塞いだりして調整する。トランペットやトロンボーンも、指先のコントロールで狙った音を出しやすい。ところがホルンは、ひとつの指使いで16種類ぐらいの音が出せてしまう。「ここだ!」と狙い定めても、8番目の音のつもりが9番目に行っちゃった、なんてことがある。だからこそ難しい楽器と認められているし、その難しい楽器をマスターした! と思ったのに間違えるあの瞬間が、やっぱりたまらないです。
──なるほど。ということは、あの現代音楽の素早い音符や音程をホルンで吹くのは、とんでもなく難しいテクニックなんですね。
近藤:……と、思ってたんですけど。実は、ほかのホルン奏者の現代音楽の演奏を見ると、古典的レパートリーよりよっぽど上手く鳴らしていたりするんです。「ホルンだからこれはできない」とは、最近はあまり言えなくなっていますね。
──そうなんですか! 例えば、どんな奏者が思い浮かびますか?
近藤:ドイツの現代音楽団体「アンサンブル・モデルン」に所属するホルン奏者、ザール・ベルガー(Saar Berger)のレッスンを一度受けたことがあるんですが……横で聴いているだけでもかなり異次元というか。木管楽器か何かのように、4オクターブの音域を行き来して、その中でアーティキュレーションも自由自在につけられる人なんですよ。こんなことが可能なのか、と驚きましたね。
即興で「間違えた」と気づく瞬間
──近藤さんは、即興演奏(音楽)のライブにも出演されていますよね。現代音楽の奏者には即興を実践する人も多い印象ですが、近藤さんもやはり、そういった流れで?
近藤:知り合いの作曲家を通じて即興のライブに行くようになったんですが、正直、最初のころは「なんだこりゃ」って思ってました。みんな好き勝手にやって、観客は出演者のポエムを聞かされる。しかも3人同時に! っていう(笑)
でもそれって、自分が「演奏者は楽譜を演奏するもの」という概念にとらわれていたからなんですよね。クラシックや現代音楽の演奏者は「譜面を演奏する人たち」という前提があった。その人たちが好き勝手やってるところを聞かされてもなあ……みたいな気持ちでした。
転機は、自分が即興する側に回ったときです。「楽譜にとらわれず、何をやってもいい。これは楽しいぞ!」と。そうすると、今度は人の即興を聴きに行ったとき「お、楽しそうっすね。いいじゃんいいじゃん」みたいな気分になってくる(笑)
──譜面がある時と、譜面が存在しない場合では、意識がかなり変わるんですね。
近藤:変わりますね。ただ最近、即興をやっていても、自分の中で「あ、いま間違えた」って思うことが増えました。吹きたいイメージがあったのにその音を間違える。それはつまり、自分のイメージを楽器に乗せられなかった、明確なミスなんです。人の即興を見ているときも、「今そういう音で入ってきたけど、本当は違う音で入りたかったんじゃないのか?」とか、何となくわかるようになってきましたね。
──なるほど! 即興における「間違い」、とても興味深いお話です。「即興には間違いは存在しない」という考えもありますが……
近藤:自分の中には、明確にミスがあります。あとは、自分が聴いたりやり込んできた音楽の幅を、如実に悟ってしまう。とくにホルンは、いつの間にかどこかで聞いたようなメロディーに落ち着くことがあるので、もっと概念を超えた、ぶっ壊れた何かをやれていない、ということを赤裸々にされて怖いんです。
今、近藤さんがやりたいこと──ナチュラルホルンの無伴奏リサイタル
──本日は近藤さんのルーツやこれまでの経験、興味深いお話をたくさんありがとうございました。最後に、近藤さんが「今やりたいこと」について聞かせてもらえますか?
近藤:最近は自分のイメージからか、面白さに寄ったような楽譜やパフォーマンスを求められることが多いんですけど……その路線も維持しつつ、やっぱり、既存の曲をリスペクトして、古典を見つめ直す機会を設けていきたいですね。具体的には、ナチュラルホルンのソロ・リサイタルをやってみたいと思ってます。
──面白そう! 新作初演ではなく、クラシックのナチュラルホルンの独奏曲だけを集めたリサイタルということですか?
近藤:新曲を混ぜてもいいんですけど、ナチュラルホルンって、クラシックの独奏曲が結構あるんですよ。おもに1830年〜50年代ぐらいにかけて、たくさん書かれてるんです。
完全に1人、ナチュラルホルンだけの、既存曲の演奏会。いま一番やりたいことはそれですね。
──それはぜひやってほしいです! 本日は現代音楽やホルンの世界の奥深さを教えていただき、ありがとうございました。
近藤:ありがとうございました!
(取材・文:加藤綾子)
(サムネイル写真:門田和峻)