1980年、イギリスのインプロヴァイザー、デレク・ベイリー(1930年1月29日 – 2005年12月25日)が著した『インプロヴィゼーション』をスタート地点としたブックガイドです。
デレク・ベイリーと、彼の音楽と交わったり、受け継いだりした人々──その中には日本の音楽家・批評家も含まれます。彼らの「フリー・インプロヴィゼーション」を、大きな流れで追ってゆきます。
【はじめに】このブックガイドについて
(ともかく本を教えてくれ!という方は飛ばしてください)
なぜデレク・ベイリーの『インプロヴィゼーション』なのか?
今回のブックガイドは、デレク・ベイリーの『インプロヴィゼーション』をスタート地点に置いています。
この記事やこの記事でも書いてきた通り、フリー・インプロヴィゼーションは、その定義が非常に曖昧なことばです。そのため、ある程度「フリー・インプロヴィゼーション」のなかで範囲を限定しないと、そもそもブックガイドの作成が不可能だと考えました。
そこで今回のブックガイドでは、日本語の関連書籍が多く、デレク・ベイリーの著した『インプロヴィゼーション』および彼自身の即興演奏(即興音楽)を中心に据えました。
選び方について: できるだけいろんな視点から、多くの人が楽しめるガイド
いろんな立場・視点の人が楽しめるように、
- 現在でも読みやすい・手に入れやすい書籍
- ベイリー本人やその周辺だけではなく、彼の影響を受けたさまざまなアーティスト・批評家の書籍
- クラシックや日本の即興シーンなど、さまざまな視点・立場の書籍
を、できるだけ偏らないよう選びました。
世界にはいろんな「フリー・インプロヴィゼーション」がある
また、一点覚えていてほしいのは、フリー・インプロヴィゼーションにはさまざまな考え、スタイルが(奇妙なことに)存在して、ベイリーと彼らに影響を受けたフリー・インプロヴィゼーションは、そのうちの一つである、ということです。
国や時代どころか、個人単位でその解釈がちがうからこそ、”自由な”即興は面白い。そんなふうに思いながら、今回のデレク・ベイリー・ブックガイドをご覧ください。
デレク・ベイリー、初めの一冊
インプロヴィゼーション 即興演奏の彼方へ|デレク・ベイリー(著), 竹田賢一(訳)
【原題】“Improvisation : Its Nature And Practice In Music” – Derek Baily (1980)
当メディアでも、もう何度目?の登場。デレク・ベイリーのフリー・インプロヴィゼーション、その入門書にして基本の一冊とも言える本です。
分野ごとに章立てされ、それぞれ、各分野の即興演奏プレイヤーにインタビューしたかたちで収録されています。最後の第9章はもちろん、「フリー・インプロヴィゼーション」。本文中の半分近くを占めています。
フリー・インプロヴィゼーションだけでなく、「即興演奏」全般の資料としても重宝します。インド音楽、フラメンコ、ジャズ、オルガン、バロック……フリー・インプロヴィゼーションに興味がない人でも、ぜひ読んでみてほしい一冊。
ただ、気をつけてほしい点がいくつか。一つ目は、記載されている情報がだいぶ古いということ。
ふたつめは、1992年に改訂版が出版されたが、この邦訳版はまだ出版されていないこと。この改訂版は大幅な改稿があったため、邦訳が待ち望まれるところですが……音楽マガジン「KLUSTER!」に一部邦訳文が掲載されていましたが、こちらも残念ながら現在は入手困難です。
そして三つ目は、著者のデレク・ベイリーは言語的でないフリー・インプロヴィゼーションを追求していた音楽家であり、その視点から多くの事柄が語られている、ということです。即興演奏に関するどんな本でもそうですが、著者のバックボーンや専門を知った上で読んでおくのがいいかもしれません。
デレク・ベイリーとヨーロッパのインプロヴァイザーたち
『デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語』ベン・ワトソン
400Pを超える大ボリューム。お値段も張りますが、デレク・ベイリー自身のバックボーンを詳しく知りたかったり、ヨーロッパ〜日本でのフリー・インプロヴィゼーションの流れ、その同時代アーティストたちのエピソードを知りたい方にはおすすめします。
ベイリーの幼年期時代、ミュージシャンとしての下積み時代などが本人の口によって語られるほか、ベイリー以外の即興演奏家たちの貴重なエピソードも。後半になると、ベイリー来日時の体験についても語られ、日本で彼と共演した人々(阿部薫、田中泯など)のエピソードも登場します。彼らのことを覚えておくと、他の書籍も読み解きやすいかもしれません。
ただ正直なところ、この本は初心者の方にはおすすめできません。文体の癖が非常に強く、また著者の考えや意見が相当強く反映されているので好みが分かれるところ。
とはいえ、ここに記載されているエピソードや証言が貴重な資料であることに変わりはありません。ちょっと距離を置いた冷静な目で読んでみることをおすすめします。
ちなみに、『デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語』邦訳版が出版された際には、「デレク・ベイリーを聴く会」という催しが、吉祥寺のサウンドカフェ「dzumi」で開催されていました。こちらのページにイベントアーカイブや書評が掲載されているので、あわせてご覧ください。
『世界フリージャズ記』副島輝人
評論家・副島輝人(そえじまてると)氏による、世界中のフリージャズ(フリー・ミュージック、即興音楽)に関するレポートやテキスト集。
人物で追うなら、ベイリーの即興集団「カンパニー」に所属していたエヴァン・パーカー、集団即興「コブラ」の作者ジョン・ゾーンなど。
地域・国で追うなら、ドイツの「メールス・ジャズ祭」の詳細なリポート、イタリア・ピサのジャズフェスティバル「インターナショナル・ジャズ・ミーティング」、旧ソヴィエト連邦からロシアのジャズ音楽、そして日本……読むだけでちょっとした世界旅行気分に。
『AA 五十年後のアルバート・アイラー』細田成嗣(編著)
この書籍はアルバート・アイラーというミュージシャンに関するインタビュー、対談、分析など、膨大なテキストが編纂されたものです。
「アルバート・アイラーって誰?」──という方も、この記事を読んでいる中にはいらっしゃるとおもいます。しかしこの本は、アイラーの名前や彼の音楽を直接知らなかったとしても、フリー・ジャズとフリー・インプロヴィゼーションの関係性を探るためにおすすめした一冊です。
(とくに日本で?)混同されがちな、「フリー・ジャズ」とベイリーはじめとしたヨーロッパの「フリー・インプロヴィゼーション」。なぜそれらの境があいまいなのか?そもそもそこに境を見出してよいのだろうか?アイラーのように、「どっち?」とも言えない音楽家たちのことを、私たちはどうやって発見するべきなのか? ……さまざまな問いかけを投げかけてくれる一冊です。
日本の即興演奏家たち
日本で「即興」を行う人々の中には、デレク・ベイリーの影響を受けたり、ベイリーと共演したプレイヤーがいます。彼らのことばを読んだり、背景を知ることは、日本だけでなく広くフリー・インプロヴィゼーションのシーンを知る助けになると思います。
『MUSICS』大友良英
音楽家・大友良英氏の文集とDVDがセットになっています。フリーペーパーの連載記事やインタビュー、書き下ろし対談などをテーマごとにまとめ直したもの。正直、この内容で ¥3,500 はお得だと思います。
とくにおすすめしたいのは、日本でフリー・インプロヴィゼーション(即興演奏)を実践し活躍しているミュージシャンの、貴重なことばが掲載されたアンケート『ミュージシャンはステージで何を聴いているのか』。知っている名前があってもなくても、ジャズ、ノイズ、映画、音響……日本で育まれてきたフリー・インプロヴィゼーション、その一角を知る貴重な手がかりになると思います。
『僕はこんな音楽を聴いて育った』大友良英
先ほども登場した大友良英氏の著作。今度は著者の自伝です。ユーモラスな文体で進んでいくので、読み物として楽しめると思います。登場するミュージシャン(もちろん、デレク・ベイリーも)や作品についても、そのつどコラム解説が。続編(東京編)がちくまWEBに掲載されています。
『僕はずっと裸だった』田中泯
現在、『鎌倉殿の13人』に藤原 秀衡役で出演している田中泯(たなか みん)氏が、ダンス(舞踏)による即興でベイリーと共演していたということを、果たしてどれだけの人が知っているでしょうか。その田中泯氏の貴重なエッセイ集です。
大半は、全裸で踊る「裸体舞踊」はじめ、田中泯氏そして彼の「オドリ」について彼自身のことばで語られる、文字通りエッセイ集です。しかし、ほんの2ページですが、晩年のベイリーとの共演エピソードが記されているほか、日本で独特の成長を遂げた「フリー」、その思想の一部を知る上で、田中泯氏のことばは助けになるかもしれません。
『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』大友良英ほか(著)大島彰(編)
日本の「即興」シーンの一部で、非常に人気のあるサクソフォニスト・阿部薫(あべかおる)氏について、音楽家や批評家がテキストを寄せたエッセイ集。
内容は批評的なものから詩・散文のようなものまで様々。個人的には吉田隆一(よしだりゅういち)氏による阿部薫のサックス演奏法に関する考察や、杉本拓(すぎもとたく)氏によるテキスト『私は阿部薫やデレク・ベイリーが苦手だった』が印象的でした。
阿部薫はベイリー来日の際にも共演したプレイヤーで、先述の大友良英氏がたびたび名前を挙げる「即興音楽」プレイヤーのひとりです。直接ベイリーと関係あるかというと、おそらくそうではないのですが、さりとて「フリーな」即興と無関係ではなく、……と独特な存在感を放っています。根強いファンが多く、いくつかの書籍や、彼のパートナー・鈴木いづみ氏の文集も多く出版されています。
まずは彼の演奏を聴いてみて、ハマった方はさらなる音源、彼らの短く濃密な人生や音楽を追う書籍など、調べてみてください。
歴史
ベイリーのフリー・インプロヴィゼーションについては、その土壌となったさまざまな音楽の歴史を知ることで、より深く、ベイリーや彼らの即興演奏の背景を知ることができるかもしれません。
『アヴァンギャルド・ジャズ ヨーロッパ・フリーの軌跡』横井一江
ドイツ・メールスでの回想から始まる印象的な前置き。前半は、ヨーロッパにおける「フリー・ミュージック」「フリー・ジャズ」そして「フリー・インプロヴィゼーション」の歴史を簡潔にまとめてあります。
後半は各国の「フリー」の発展を、その国のミュージシャンや団体にフォーカスしながら掘り下げてゆきます。章立てはドイツ、オランダ、イギリス、フランス、イタリア、そしてスイス。ピックアップされるミュージシャンは、ペーター・プロッツマン、ミシャ・メンゲルベルク、ハン・ベニングなど。
文章も簡潔で非常に読みやすく、各章ごとに流れがわかりやすいので、「ジャズ」「フリー・ジャズ」に興味のある方はこの本をおすすめします。ベイリーといえばイギリス、ですが、ベイリー以前のフリーについても知ることができます。
『現代音楽史 闘争しつづける芸術のゆくえ』沼野雄司
この本はとくに、「クラシック音楽」「西洋音楽」「現代音楽」がもともと好きな人におすすめです。
1960年代に起こったフリー・インプロヴィゼーションは、無調、セリー、電子音響音楽といった音楽様式──そして、それらの分野で名を残したシェーンベルク 、ウェーベルン、ケージなどの作曲家と切って離せない関係にあります。
また、他の現代音楽史と同じように「クラシック音楽」の視点から現代音楽を読み解きながらも、ポピュラー音楽なども扱っている点が印象的。ベイリーやAMMの名前は第6章「1967年という切断」で登場し、これらの即興がどんな流れ・土壌で生まれてきたのか、イメージしやすくなっています。
横井一江氏『アヴァンギャルド・ジャズ』は、ヨーロッパのフリー・ジャズ/フリー・ミュージックに範囲を絞って深く掘り下げたい人向け。
こちらの『現代音楽史』は、あくまで西洋古典音楽の流れを汲む音楽史を追い、その流れの一つとしてフリー・インプロが紹介されているので、大きな目で広く浅く、背景を知りたい人におすすめです。
『日本フリージャズ史』副島輝人
こちらはデレク・ベイリーの名前はほとんど出てきませんが、ベイリーとクロスした日本の「フリー」の音楽シーンを知る、という意味でご紹介します。
タイトル通り、日本の「フリー・ジャズ」シーンのおおよその流れを、実際のライブのエピソードやアーティストの証言などとともに辿っていく書籍です。
実際のライブで起きたエピソード、各ミュージシャンの様子が書かれています。先ほどからたびたび登場する大友良英氏や阿部薫氏が、日本の「フリー・ジャズ」的目線ではどんなふうに紹介されているのか、その参考として興味深いのではないでしょうか。
日本で独特の誕生・発展を遂げた「フリー」、その一角を、ベイリーやベイリー周辺の「フリー」と比較してみるのはいかがでしょうか。
音楽論・批評
デレク・ベイリーのフリー・インプロヴィゼーションについては、彼自身が書籍を著した影響もあってか、多くの音楽家・批評家が音楽論や評論などを書いています。読み物としての難易度は高いものが多いですが、ぜひこれらの本を手に、じっくり腰を据えて、即興とは何か、フリーとは何か、考えてみる時間をつくってみてください。
『フリー・インプロヴィゼーション 聴取の手引き』ジョン・コルベット
フリー・インプロを聴いてみたい、という人なら、ぐっと惹きつけられるタイトルです。実際、邦訳の出版時には「フリー・インプロヴィゼーション入門書」として注目され、一部のファンのあいだでかなり話題になった書籍でもあります。
この本は厳密にはデレク・ベイリーを中心に扱っているわけではなく、古今東西のさまざまな「フリー・インプロヴィゼーション」の楽しみ方を紹介しています。巻末には日本ではなかなかお目にかかれない、欧州・欧米の即興演奏家たちの名前一覧や、ライター・細田成嗣氏によるブックガイド20も。
ただ個人的に、「この書籍は入門書だ!」といわれると、すこし違和感が。文章自体は軽快で、ウィットに富んでいるのですが、その“おもしろさ”は、すでにある程度フリー・インプロに通じている人でないと共有しづらいのではないでしょうか。ほか、参考として各所のレビューも掲載しておきます。
『サステナブル・ミュージック これからの持続可能な音楽のあり方』若尾裕
SDGs直球な書名。フリー・インプロヴィゼーションをメインで扱っているわけではありませんが、デレク・ベイリーや即興音楽についても触れています。
フリー・インプロヴィゼーションを実践したり、考えたりすることの魅力のひとつに、「音楽そのもの」についての視野が広がる、という点があります。
この『サステナブル・ミュージック』は即興音楽に割いているページ数こそ少ないですが、商業音楽や西洋音楽、コンサート鑑賞など、音楽のありかたそのものについて非常に考えさせられます。現代における音楽の“自由”を問う──という意味では、ベイリーの『インプロヴィゼーション』と同じ方向性かもしれません。ひとつひとつの章が短く、読みやすいのもおすすめポイント。
『レコードは風景をだいなしにする ジョン・ケージと録音物たち』デイヴィッド・グラブス
録音物(レコード)があらゆる音楽シーンに与えた影響、そして偶然性や即興性と密な関係にあった作曲家やアーティスト──そのなかには、ヘンリー・フリントやジョン・ケージ、AMM、そしてデレク・ベイリーが含まれます──と録音の関係、などを考察する書籍です。
いまとなっては、当たり前のように聴くことができるフリー・インプロヴィゼーション。彼に限らず、毎日毎日、多くの即興演奏家たちが、自分たちの即興演奏を録音し、公開しています。
「でも、即興って、その場限りの音楽なんでしょ?それを録音したり、録音したものを繰り返し聴くのって、なんだかヘンじゃない?」
そんなふうに思ったあなたには、ぜひこの本をおすすめします。
『即興の解体/懐胎 演奏と演劇のアポリア』佐々木敦
即興ってなんだろう? 即興って、何が起きてるんだろう? ひとりで即興する時、自分が、自分で予測しえないようなことって、できるんだろうか?
「即興」そのものについて、ともかく考えて考えて考えて考えまくりたい人におすすめ。この本を読むなら、この記事で紹介してきた書籍──とくにデレク・ベイリー『インプロヴィゼーション』、大友良英『MUSICS』、そして岡田利規『遡行 変形していくための演劇論』──を読んでおくことをおすすめします。『遡行』については次の項目で。
『遡行 変形していくための演劇論』岡田利規
前述の「即興の解体/懐胎 演奏と演劇のアポリア」で出てくる劇団「チェルフィッシュ」。その主催者、岡田利規(おかだ としき)氏の自伝的演劇論です。
この本自体には即興ということばはほとんど出てこないのですが、ことばと態度のズレ、動作のノイズなど、即興を行う上で気になるキーワードがちらほら。また、シンプルに岡田氏の文章が読みやすく、単純に読み物としても楽しめると思います。ここで岡田氏の演劇論に触れておくと、「即興の解体/懐胎」も読みやすくなるのではないでしょうか。
【番外編】Kindle読み放題で読める「フリー・インプロヴィゼーション」
ここでは「Kindle Unlimited」(Amazon 読み放題)で読むことのできる貴重な書籍を、一部紹介します。
『フリージャズ&フリーミュージック 開かれた音楽のアンソロジー』ちゃぷちゃぷレコード(編)
“フリーミュージック”──フリージャズ、そしてフリー・インプロヴィゼーション──の音源やミュージシャンについて、日本のインプロヴァイザーたちが語るアンソロジー、およびディスクガイド。1960~80年代と1981~2000年代、ふたつの書籍が出版されていて、こちらは1960~1980年代の「フリージャズ」「フリー・インプロヴィゼーション」に関するテキスト、そして後半はディスクガイドになっています。
アンソロジー日本で現在も活躍している豊住芳三郎氏の体験談、ベイリーを日本に招いた夭折の批評家・間章(あいだ あきら)氏のライナーノート読解など、ここでしか読めない貴重なテキストが目白押し。ペーパーバック版も販売しています。
Kindle Unlimited、気になる方はぜひチェックしてみてください。
終わりに
ここまでの書籍や、その書籍に登場する人名・作品名を見ての通り、ベイリーのフリー・インプロヴィゼーションは、それ単体で存在している音楽ではありません。
そこには、ジャズ、現代音楽、プログレッシブなど、さまざまな音楽とその音楽を実演・研究する人たちがごった煮になっています。いろんな視点・背景から、あなたにとっての「フリー・インプロヴィゼーション」を見つけてみてください。