即興ピアニストとして20年以上活動され、今年50歳を迎えられた、照内央晴(てるうちひさはる)さん。
ライブ演奏はもちろん、公演企画、録音など、多岐に渡り活躍されている照内さん。鋭い打撃音のような音を散りばめる時もあれば、西洋音楽的な響きを丁寧に置いてゆく。照内さんがピアノで行う即興は、どこから、どんなふうにつみ重ねられて来たものなのでしょうか?そのルーツを語っていただきました。(インタビュアー: 加藤)
【プロフィール】照内央晴/テルピアノ
照内央晴(てるうちひさはる)/テルピアノ TERUUCHI Hisaharu
1972年、東京生。即興ピアノ演奏家。これまでに、国内外の多くのインプロバイザーと共演。2017年、パーカッショニスト 松本ちはやとの共同名義による初の即興演奏CD『哀しみさえも星となりて』リリース。2018年には、初の海外(欧州)ツアーをおこなった。現在は、豊住芳三郎、喜多直毅、加藤綾子、吉田達也らとのデュオのほか、トリオその他の形態・ユニットでも即興演奏の世界を探究している。また、身体表現など幅広いジャンルとのコラボレーションも多い。2022年、50歳を機に「テルピアノ」名義でも活動してゆく。
即興のきっかけと修行について – ヤマハの訪問教室、そして旧・荻窪グッドマン
*インタビュアー注: インタビュー文中で「即興」または「即興演奏」と記したものは、完全即興、フリー・インプロヴィゼーションとも呼ばれる、「自由な」即興、あるいはそれに準ずるものを指します。ここでは照内さんの意志を尊重して「即興」で統一しております。
──照内さんは日本全国で、即興ピアニストとして盛んに活動していらっしゃいます。ライブ演奏だけでなく、パーカッショニスト・松本ちはやさんとの録音『哀しみさえも星となりて』のリリースや、自らさまざまなアーティストをオーガナイズして企画も。こういった活動を積極的に始められたのはいつ頃ですか?
照内央晴(以下・照内): 定かじゃないけど、震災よりちょっと前、2009年頃じゃないかな。それまでは『ユニークバンド』というグループであったり、前は荻窪にあった『グッドマン』(*ライブハウス。現在は高円寺に移転)で、即興の修行はしました。修行って言うとちょっと変かもしれないけど、即興演奏についていろんなことを学んだのはグッドマンなのかなって。
──なるほど。即興演奏自体はその前からされていたんですか?
じつは僕が小さい頃って、幼稚園に週一回くらいヤマハの音楽教室が来て、習いたい人は習うって時間があったのよ。それが、僕が音楽に触れたきっかけだったのね。で、ヤマハは即興をやらせるのね。
──ヤマハが昔から幼稚園を訪問したり、即興を実践していたとは知りませんでした。
照内: うんそうそう。それが一つきっかけだったとは思う。そういう環境が僕が小さい頃にあった。
それと、なんかよくわかんないけど元々、ポロポロ自由に弾くのが好きだった。曲を練習するのはそんな好きじゃないけど、自分のイメージみたいなのを勝手に弾くのが小さい頃から好きだったんですね。
そういうことをしていた意味は、ずっと忘れてたんだけど……最近になって「ある意味あの頃に戻ってるんじゃないのか。イメージで弾きたいことを弾くって、最初からやってたことだ」って気づいた。
きっかけはヤマハかもしれないけど、他のこと──曲の練習が苦手なのも、そのまんま変わらないじゃん、って。結局、自分がやってることって純粋にそこ、そこだけとっちゃえばそこじゃん、って。笑
──なるほど、ここへ来て原点回帰というか。ちなみに、小さい頃に弾かれていたイメージというのはどんな物だったんですか?
照内: 童話とか、そういうのが好きだったので、お話みたいなイメージで弾いたりしていました。もう内容は覚えてないけど。
だから今でも、視覚的なイメージとか、ぼんやりとしたストーリーとかを、演奏に使うことはあるかもしれない。ある人がこういう辛い思いして〜とか、誰かが片足引きずってワルツ踊って〜とか。そういうのは、演奏中「次の段階に行こう」って時に、発想性として利用してるかも。利用しよう利用しよう、って思ってるわけじゃないけど。
だから、加藤さん(*本記事のインタビュアー。ヴァイオリニスト)と弾いてる時も、加藤さんが弾いてることとは全然関係ないイメージだったりする。テクニックとは思ってないけど、まあ、ある種のテクニックかもしれない。引き出しを引き出しやすくなる。
でも、絵を描いてて即興演奏もやる人に聞いたら、「音のことしか考えてない」っていってたっけね。その人は美術の人だから視覚的なこと考えてるのかと思ってたら、そんなことはなくて、音しか考えてないっていう。笑
即興で求める音 – Louis Kaufmanによるプーランク: ヴァイオリン・ソナタ
──照内さんのルーツという繋がりで。照内さんは日本の作曲家(三善晃など)の作品や、Louis Kaufman / ルイス・カウフマン(*アメリカ出身のヴァイオリニスト。1905-1994)のプーランク: ヴァイオリン・ソナタの演奏が特にお好きだとおっしゃっていました。それらの作品(演奏)も、照内さんの即興にはリンクしているんでしょうか?
照内: リンクはあるかもしれない。プーランクのソナタがそうなのかはわからないけど、即興的な流れっていうのはあるかもしれないね。ドビュッシーもそうじゃない? ラヴェルは響きが近くても堅固に造られてる感じがするけど、ドビュッシーは、即興的な流れで作られたのかなって感じがする。
──Kaufmanのプーランクが特に好きなのは、なぜですか?
照内: あの演奏は、突出してる気がするんですよねえ……なんだろう。……いろんな要素があるけれど…………切々と語りかけてくるってより、こう、切迫してこられる感じがありますよね。
──なるほど。元々あの曲が好きだったんですか?それとも、……
照内: いや、あの演奏から入っちゃったの。笑
だいぶ時間経ってから、渋谷のクラシック喫茶でリクエストして、Josef Suk / ヨゼフ・スーク(*チェコスロバキア出身のヴァイオリニスト/ヴィオリスト。1929-2011)が演奏してるのを聞いたら、全然対極なんだよね。ちょっと抜けてるみたいな感じがしちゃって。それはそれでそういう解釈もあるんだなあって、今は思うようになったけどね。
やっぱり切羽詰まってるみたいなの好きかもしれないね。笑 切羽詰まってるっていうか、スピード感。(即興)演奏もそうかもしれない。
──それは照内さんの演奏を聴いていると、すごくわかります。照内さんの音は、例え和音をシンプルに鳴らしているだけのときも、すごくスピード感がある。照内さんの音を聴いた人が「緊張感がある」「鋭い」というのは、そういうところなんじゃないかなあと。
照内: なるほど。
──それから、照内さんは……クラシックというか、西洋的な響きをすごく大事にしていらっしゃるんだろうなって思うんですけども。
照内: それはそうなんでしょうねえ。僕はクラシックの、特に近現代寄りのものがすごく好きなんですけど、そういう緻密なものを勉強して弾くことはできなかった。できないから結局、自分でそれを補おうとするんじゃないですか。
楽曲として演奏はできなくても、何かそれに近いものが、即興ならできるかもしれない。そう考えてやったわけじゃないけど、結果としてはそうなっているのかもしれないと思います。「『何かができないから即興をやっている』というような姿勢は良くないよ」って言われたこともあるけど、プラス面を考えるとそれはそういうものかなと思います。難しい曲もできたらいいなとは思うけどね。笑
ただ、Twitterとか見てると若い人って随分、感じ変わったなあって。10代の人とか、どんどん演奏動画をアップするじゃない。そうすると、なんかね、変わったなーって気がしますね。みんなものすごくよく弾ける。
──わかります。私も嫌になっちゃうなあ、みんなよく弾けるなあ〜って、思ってしまうことがあります。笑 若くて上手い人がどんどん増えて、SNSが普及して、コロナも流行して……めちゃめちゃ若くて上手い人しかこの世にはいない、みたいな印象になってきますよね。
照内: 僕はクラシックの人じゃないから、自分は違う、っていうアイデンティティを保てるんだけど、でも、まあ、やっぱりそういう感じしますよね。……何を言いたかったんだっけ?笑
──なんでしたっけ。笑
「できない」ことは悪いことじゃない。グッドマン・マスターのとある言葉に衝撃を受けて
──即興でも、若い人の演奏を聞いて、うわ〜この人上手いな〜やだなあ〜、みたいに思うことはありますか?
照内: 若い人かどうかはわかんないけども、即興で、クラシックの上手い人がやる即興は時々、ベタすぎるって思っちゃうことがあります。例えるなら三流のラフマニノフみたいな……
──笑
照内: ちょっといやらしい、って思っちゃう。僕もベタに演奏する時あるけど、でもそれは短い時間に限定してる。かなり慎重かな。ヒルメロじゃないよ、って、そこはこだわりを持ってる。即興を長くやってると、やっぱり「こうはしたくない」っていうのは結構はっきり出てくるよね。
だから、弾けることはもちろん素晴らしいことなんだけど、即興の場合、「弾ける」ことで難しくなる場合もあります。
──照内さんの演奏は、自分自身の確固たる言語みたいなものがあって、それがブレないなと思うんです。大ベテランのドラマー・豊住芳三郎さんのパワフルなプレイの前でも、相乗してアガっていくんだけど、照内さんの音楽的な芯はブレない。すごく存在感がある。
照内: そういってもらえると嬉しいです。クラシック音楽をちゃんと勉強する努力ができなかったことは、コンプレックスなのかもしれないけど、「自分はあんまりそれを習得できない、習得する努力もできないで生きてきたんだから、それはそういうもんだ」と受け入れてる。だからこそやってこれた、っていうところもあるからね。
クラシックや現代音楽がバリバリできる人だったら、即興なんてやってこなかったかもしれない。そう考えると、「できない」ってことは悪くないことなんだなと思いますね。なんでもできるってことは羨ましいと思うけど、「できないからこれで行こう」って思えることもたくさんあるから。すごくいいことだと思う。
──できないことは悪くない、とても素敵な考え方だと思います。
照内: うん、うん。そう、それで思い出したんだけど、『グッドマン』のマスターが言ってたことでね……サックスを吹いてる人たちとか、みんな上手くなろうとするじゃない。そしたらマスターが、「一段上手くなったら、前の下手だった時の演奏ってなかなかできないよ」っていってさ。
そんなこと考えたこともなかった。鍵盤の押さえ方一つでも、あ、この方がいいなって思うじゃないですか。そうするともう、下手だった段階に戻せるかっていうと、確かに難しい。この言葉を聞いた時、即興やってる人ってなんて変な考え方するんだろうって思った。笑
──それは……名言ですね。
照内: ぽっと出てね。びっくりした。笑
──素敵です、本当に名言です。
照内: そういう発想は、今まで持ってた音楽とか、取り組みとか、練習する方法とかとは、全然違う価値観だから、すごく刺激が大きかったかもしれないですね。
──とくにアカデミックに、専門的に楽器を学ぶ人は上手くならなきゃって思いがちだけど、目から鱗かもしれません。「下手な時の演奏にはなかなか戻れない」。今、音楽で苦しんでいる人たちに伝えたい言葉ですね。
楽器と場所 – 木の感触があるところで
──照内さんは日本各地のライブハウスなどで演奏されていますが、どんなピアノが好きですか? 以前、渋谷『公園通りクラシックス』のピアノがとても好きだとおっしゃっていたのが印象に残っています。
照内: なんだろうね?…………弾きやすいのと、響きと、弾いた感触と、出てくる音の感じが、比較的一致してる、とかかなあ。
僕は、すごくいいピアノを弾く機会がないからよくわからないんだよね。スタインウェイのいい楽器とか、ライブハウスや学校で弾けるものじゃないし、触る機会がないから。アクションが合わないピアノも結構あるんだよね。
あと、ヤマハの新しいグランドとかも、キンキンするんだよね。そうなると、出したいニュアンスがあんまり出せない、っていうのはあるかもしれない。そういう意味で、『公園通りクラシックス』のピアノはやりやすいかもしれないね。
いつも与えられた条件の中でどれだけ自分ができるかと思って取り組んでいるけど、かといって、どんなピアノでも楽かっていうと、結構、本当はきついなって思うこともありますね。
──楽器だけでなく、会場そのものにも影響されますか?
照内: あんまり意識的にはないけど、当然あるんだろうねえ。でも、どうなんだろうなあ……(会場の影響も)あるとは思うけど、やっぱり、そのピアノはどうか、って方が気になっちゃうのかな。自分の楽器じゃないのだからね、それとの相性がどうかっていうのが、まず気になるかもしれないね。
……あ、でも、こういうちょっと、木の感じのところ。こういうところが好きなんですよ。喫茶店とかも、木の感触があるところが好きってのが結構あって。クラシックスもそう。それは関係あるかもしれないね。