執筆者: 冨岡三智(@javanesedance)
私は1996年から計2回、通算5年余りインドネシア国立芸術大学スラカルタ校に留学し、ジャワの伝統舞踊を修得してきました。その一方で、ジャワの伝統舞踊のテクニックをベースにした作品もいくつか作っています。
留学してから分かったのですが、インドネシアでは伝統舞踊家であると同時に現代舞踊家でもあるという人も少なくありません。
野村誠さんも「ジャワ舞踊家 ベン・スハルトの即興メソッドを巡って」で、ジョグジャカルタのベン・スハルト氏の例を出して、「(ジョグジャカルタという古都の)伝統舞踊家たちは、即興に長けている人が多いのです。」と書かれていましたが、スラカルタもまた、ジョグジャカルタと同様にジャワ王家を擁する王都でありながら、インドネシアの中でもコラボレーションやコンテンポラリ芸術が盛んな都市なのです。
このエッセイでは、私が伝統舞踊と創作を師事したパマルディから学んだことを中心に、
- ジャワにおいて創作や現代舞踊の即興はどのように行われているか
- 伝統舞踊の中にもある即興について
以上の2編に分けて書こうと思います。即興は現代的なものと思われがちですが、伝統芸術の中にもその要素はあるのです。
インドネシア国立芸術大学スラカルタ校のワークショップ授業
パマルディ(Silvester Pamardi / 1958 -)は、1958年にスラカルタでスラカルタ宮廷音楽家を多く輩出した一族に生まれ、幼少から伝統舞踊を始め、芸術高校から芸術大学と進学して芸術大学の教員になった人です。
インドネシアのコンテンポラリ舞踊の先駆者である*サルドノ・クスモ(Sardono W. Kusumo / 1945- )らの作品にも多く出演し、それ以外にも国内外の舞踊家たちと多くコラボレーションしています。
まずは、私の心に残っているインドネシア国立芸術大学スラカルタ校の授業を紹介しましょう。
2001~2002年頃のこと、パマルディ以下数人の教員たちが教えている創作舞踊の授業で、一度だけ、一晩の授業が行われたことがあります。学生数は30~40人くらい。確か、この1回の出席で昼の通常授業3コマ分に振り替えられたように思います。
それはちょうどイスラムの断食期間中に行われ、夜9時に教室集合、夜中3時頃まで授業をやって全員でサフール(その日の断食を始める前に取る食事)を食べて解散というものでした。
一晩の中でいろんな即興のセッションがあり、ディスカッションがあり、休憩があり…という形でやっていき、学生は疲れたら横で見ているだけでも良いし、眠くなれば寝ても良いのです。
そう聞くとゆるいように感じられるかもしれませんが、一晩のワークショップはなかなかきつく、夜が更けるにつれ集中力が続かなくなり、意識も半ば朦朧としてきます。
私は最後まで起きていましたが、次第に横になって寝る学生が増え、その状況を見て教員たちは予定の3時より早めに授業を切り上げました。
On And On 活動
この授業は当初からカリキュラムで予定されていたのではなく、実験的に行われたようです。
とはいえ、そのアイデアが唐突に生まれたわけではありません。実は、パマルディは他に音楽家の友人2人と共に、1990年から若手芸術家を集めて『オン・エンド・オン On And On』という同様の活動を、毎週木曜の夜9時から翌朝5時まで、芸大の隣にある州立芸術センター(TBS)の小さなアリーナ劇場でやっていました。
その時間帯にしたのは、夜9時以前では授業や学生指導でつぶれることが多く、また、一晩通してやったほうがより集中(intense)できると分かったからだと言います。
一晩の授業同様、『On And On』もまた公演に向けた練習ではありませんでした。何か表現したいものをどうやって見出せばよいのか、内面を掘り起こす方法として始めた活動なのです。ただ、その活動を見守っていた人から作品にしてはどうかと声を掛けられ、一度だけその成果をTBSで発表しています(1990年11月5~7日『コンポジション 五 仮面 / Komposisi Lima Topeng Topeng』)。
その公演ののち練習は以前にもまして活発になり、この練習会に参加している舞踊家たちも公演作品の制作手法として取り入れ、自分たちのグループで取り入れるようになったとのことです。ただし、公演を目的とする若手たちは、そのプロセスに一晩も時間をかけることはしなくなったそうですが。
パマルディの手法──立命館大学のワークショップの記録
では、パマルディは具体的にはどのように即興を指導しているのでしょうか。
パマルディは、1980年代末からサルドノのコンテンポラリ作品に出演するようになり、そのサルドノの作品制作の手法を自分なりにアレンジして編み出したと語っています。
サルドノは自分で動きを作り出して舞踊家に振り付けるということをしません。舞踊家たちにヒントを出し、彼らが動きを生み出すのを待ち、それを組み合わせたりアレンジしたりして作品にしてゆくのです。つまり、すべてコラボレーション手法で作品を制作していきます。
私も、サルドノやパマルディ、『On And On』に参加していた舞踊家たちの作品制作の場を何度も見に行ったことがありますが、サルドノもパマルディらから影響を受け、お互いに影響を受け合っているように見えます。その中からスラカルタの即興スタイルが生成されてきたように感じます。
“水が流れるように”──『バニュミリ』のコンセプト
パマルディが、立命館大学アート・リサーチセンターでワークショップを行った時の報告からその記述を引用してみましょう。
2001年、私の企画でパマルディは大学やホールなど計5か所で、「伝統と現代/創作」をテーマにワークショップを行い、私は通訳兼補助でそれらに立ち合いました。
受講者は舞台芸術を専攻する学生もいれば、ジャワ舞踊を実際に学んでいる者、インドネシア文化を研究する者、ダンスにもインドネシアにも縁がない人など様々でしたが、いずれの場合も即興の基本的な手法は以下のような感じです。
…、自由に動いてみる。どんな動きでも良いが、動きはひとつずつをゆっくりと行い、そしてそれらを「水が流れるように」切れ目なくつなげること。例えば最初右手を上げ、その次に頭を動かし、その次に肩を……というようにひとつずつ動かす。まず自分、自分の体に意識を集中して始める。最後は動きを次第に遅くしていって止まる。[冨岡2002: 19]
報告書 冨岡三智「ジャワ舞踊における伝統と現代―レクチャー&ワークショップ」、『アート・リサーチ』Vol.2、pp.15-19. 2002年(in Japanese)
さらに、当時の記録ビデオを引っ張り出してきて描写してみましょう。今度は同年・ジーベックホール(神戸)でのワークショップの様子です。なにしろ、まだHi8ビデオの時代なので、巻き戻すだけでも時間がかかります……
実際に参加者がやってみる前に、パマルディはやり方を説明します。
まず、動く前に自分自身に意識を集中することが重要だと強調します。『On And On』の説明でも書きましたが、そもそも即興を行うのは、何か表現したいものを自身の中に見出すためなのです。周囲のことはどうでも良いので、自分のことだけ考えるのが重要です。
次に、「なんでもよいから動いてみて下さい」と言って、実際に手本を見せます。手本と言っても、右手を挙げるとか首を回してみるとか、全くダンスの素養がなくてもできる日常の動きです。これなら自分もできる…と参加者に思わせるのが重要なのだと思います。
そして、どのように動きを並べるのかを説明するのですが、ここで、「水が流れるように」というコンセプトを出してくるのです。
これは、ジャワの伝統舞踊で最も重要なコンセプトです。ジャワ語では『バニュミリ』と言いますが、水が流れるように、滑らかにゆっくりと動くことが伝統舞踊では重要です。
バニュミリに動くということはどういうことか。それはゆっくり動くこと、そして動きを1つ1つ行うことなのです。
例えば「最初に右手を上げ、その次に頭を動か」そうと思った場合、自分がここだと思うところまで手を上げないうちに頭を動かしてはいけません。
つまり、複数の部位を同時に動かしてはいけないということです。この例えの場合、右手を上げ終わってから、初めて頭を動かし始めます。かといって、その2つの動きの間にブランクがあってはならず、動きが連続していなければなりません。
パマルディの呼びかけ
一通り説明し終わると、今度は参加者がやってみる番です。
パマルディは参加者に「まず自分自身に集中して…」と呼びかけ、「それでは始めて」と言った後、参加者の様子を観察しています。会場は無言、無音ですが、時折、パマルディが柔らかく落ち着いた声で注意を呼びかけます。
「バニュミリのことを忘れないように」
「1つ1つ動かして」
「どこが動いてますか」
「1つ1つ」「流れるように」「水が流れるように」
「止まらないように」
「頭を動かしている時は、他の部分はじっとしていて」「足も同様です」
「静かな気持ちで」……
この声掛けは号令でもなく、何となく会場全体に発しているのでもなく、1人1人の様子をよく観察して、特定の誰かに対して寄り添うように発していることが、ビデオからでも伝わってきます。だからこそ、誰の心にもすっと注意が入って言っているように見えます。
6,7分くらい経つと、参加者はもう自分自身の動きにすっかり没頭しています。
上のレポートの会場では、動きを次第に遅くしていって終わるように声をかけて誘導しますが、違う会場では、ジャワのゆったりしたガムラン音楽の録音をかけたり、パマルディ自身がジャワの詩を朗誦したりしました。その場合は、その音楽や歌に合わせて終わりに向かいます。普通はガムラン音楽や歌はテンポが遅くなって終わるので、参加者もそれに何となく合わせて終わることができます。
動きが止まると、パマルディは参加者に向かってやさしく語り掛けます。
「大事なのはスピリットを感じとること。舞踊の精神、雰囲気、動きを感じ取ること。水が流れるようにというのは、動きのことだけではないのです。内面も同じように流れています…。どんな動きでも、そこにスピリットを取り込むことは可能なのです」
そう言って、最後に、自身で短い動きの連続を見本として見せてくれるのですが、この段階ではパマルディが動くのを見て、つられるように動く参加者が少なからずいました。
ここでビデオの内容を書き起こしてあらためて感じるのは、パマルディの語り掛けのうまさです。
パマルディは始める前にやるべき内容を明らかにし、終わった後にやったことの意義を納得させてくれ、そして、ワークを行っている間はずっと寄り添ってくれているのです。おそらく、このことによって、自然に即興に入っていけるような場の雰囲気が作られているのだと思います。
パマルディ・ワークショップのまとめ
最後に、パマルディのワークショップの要点をまとめるならば、以下の3つになるでしょう。
- 自分に集中する
- 動きは何でも良いが、①ゆっくり動く、②一つ一つ動く、③切れ目なく動く
- 感覚を研ぎ澄ます
(1)(2)はすでに説明していますが、「(3)感覚を研ぎ澄ます」は、電話インタビューでパマルディが使った表現です。
(3)は(2)の延長線上にあります。ゆっくり動きながら、いま体のどの部分を動かしているのか、どこを経過しているのか、その動きが終わりそうになったら次にどこが動くのか、そのプロセスを1つ1つ細部まで感じ取り、観察し、味わうことが重要だとパマルディは言います。(2)で行っていることを、全身全霊で感知しろということなのです。ということは、(3)から(1)にまた戻ってくることになり、(1)→(2)→(3)→(1)…というサイクルが生まれます。
ただ、即興のメソッドという観点から見るならば、恐らく、「ゆっくり動く」を根本に据えて、このサイクルの起点に持ってくるのが良いのではないかと感じます。パマルディは、素早い動きではそのプロセスが感じられず、重要なことがこぼれ落ちてしまうと言っています。
「水が流れるように」という伝統舞踊の動きのコンセプトをベースにしながら、それを日常の何でもない動きに応用することによって、内面を動かしてゆくこと。それが、パマルディがワークショップで伝えようとしたことなのでしょう。
引用文献
冨岡三智2002「アート・リサーチセンター2001年度秋季連続講演会第1回 ジャワ舞踊にお
ける伝統と現代-レクチャー&ワークショップ」『アート・リサーチ』vol.2. pp.15-19
https://independent.academia.edu/MichiTomiokaよりダウンロード可
参考資料
冨岡三智 2001年10月28日ジーベックホール(神戸) ワークショップ映像
冨岡三智 2001年10月29日近畿大学、立命館大学アートリサーチセンター ワークショップ映像
型のある伝統舞踊を、まさにその時、即興で生まれた動きであるかのように舞いたい。
即興舞踊を、古くからある型のように、必然性のある動きとして舞いたい。