今、クラシック音楽を行う音楽家たちにとって、即興演奏は決して無視できない要素になっています。
日本国内を見ても、洗足学園音楽大学や東京藝術大学では即興演奏講座が常設されているほか、さまざまな音楽大学で国内外の講師を招聘した特別講座やマスタークラスが実施されています。
はるか昔、あるいはつい最近、自分ではない誰かが書いた作品を、自分自身のことばで演奏する。「(音楽家は)書かれた音符を演奏することと、誰かの書いた音符なしに演奏すること。2つを同時に学ぶべきです」──そう語るのは、鍵盤楽器奏者・アンソニー・ロマニウクさんです。
〈東京・春・音楽祭2022〉*や〈第5回 たかまつ国際古楽祭〉に来日し、即興演奏を交えたパフォーマンスを行なったロマニウクさん。彼の新譜〈Perpetuum ~無窮動〉が、2月10日にALPHA CLLASICSよりリリースされました。
クラシック、ジャズ、現代音楽。ピアノ、チェンバロ、フェンダー・ローズ。──ジャンルも、楽器も、文字通りボーダーレスな音楽とする彼は、即興演奏をどう捉えているのでしょうか?(インタビュアー: 加藤)
*この公演は『音楽の友』2月号「音楽評論家・記者が選ぶコンサート・ベストテン2022 」にも選出されたことで話題となりました。
【プロフィール】アンソニー・ロマニウク
アンソニー・ロマニウク/ Anthony Romaniuk
ベルギー在住の鍵盤楽器奏者アンソニー・ロマニウクは、自身の即興演奏の才能を生かし、幅広い音楽スタイルを常に追求する「ジャンルフリー」の音楽家である。青年期に故郷のオーストラリアでジャズに傾倒し、ニューヨークのマンハッタン音楽院でモダンピアノを学んだ後、オランダのアムステルダム音楽院とハーグ王立音楽院でチェンバロとフォルテピアノを専攻した。
ルネサンスから後期ロマン派、そしてリゲティ、クラム、現代音楽まで幅広いクラシック音楽のレパートリーを持つ一方で、即興、インディ・ロック、アンビエント(環境音楽)や電子音楽の領域でも演奏活動を行っている。ヴァイオリニストのパトリシア・コパチンスカヤと定期的に共演しており、CD『Take Two』で担当した、バッハのシャコンヌの即興演奏は、世界中で高い評価を得た。
古楽器アンサンブルのヴォクス・ルミニスのコアメンバーとして活動するほか、チェリストのピーター・ウィスペルウェイ、テノール歌手のレイナウト・ファン・メヘレン、カメラータ・ベルン、オーストラリア室内管弦楽団、シアトル交響楽団、デンマークのロックグループ「Efterklang」などと定期的に共演している。
2020年にAlpha Classicsからリリースされたソロ・デビュー・アルバム『Bells-鐘』では、4つの鍵盤楽器の音色を用いてレパートリーと即興を融合させ、クラシック音楽の境界線を押し広げるアプローチを展開している。
〈東京・春・音楽祭2022〉での即興演奏について
──あなたは即興演奏をする時、どんな様式(スタイル)で演奏しますか?
アンソニー: その時の文脈によりますね。例えば〈東京・春・音楽祭 2022〉の演奏では、私たちのレパートリーに即したスタイルで即興演奏しました。
C.P.Eバッハの楽曲はハープのように、18世紀のスタイルで……チック・コリアの作品の時は、少しだけチック・コリア・スタイルで。少しだけね。
そういったスタイルを伴わない、全くフリーな即興演奏をすることも時々はあります。でも私は、常に音楽的な文脈を──文脈のようなものを探しているんです。
それから、あなたも知っているように、私は即興演奏している時とそうでない時に、厳格な線引きはしていません。観客がいつも「これは即興?それとも即興じゃないの?」と悩んでくれるような状態が好きなんです。それってとっても楽しいんですよ。笑
──なるほど。ただ、私は〈東京・春・音楽祭2022〉のあなたの演奏から、自由を感じました。もちろん、スタイルや文脈の中で即興演奏していたことはわかった上で……バッハやチック・コリア、リゲティを弾いている時でも、あなたは常に自由な即興演奏をしていたと思います。
アンソニー: ああ、それは嬉しい……!ありがとう!とても嬉しいです!
私たちが“即興演奏”と呼ぶものは何か? それは、音のパラメータ(*音の長さや高さ、表情などの要素)があらかじめ設定されていないということです。
即興演奏では、このパラメーターは決定されていません。でも、それはつまり全ての可能性──全てのパラメーターが音符なしに開かれているということです。
全ての可能性がそこにはある。それこそが、私が全てのクラシック音楽家が即興演奏を学ぶべきだと思う理由なのです。即興演奏は私たちを自由にします。もはや私にとって、不可欠なものです。
即興演奏の瞬間、私たちはさまざまなことを試みます。タイミングや、ダイナミクス……実際のところ、それはその瞬間ごとに音楽を作り出すようなものです。
もし、本当に0から即興演奏するように楽譜を追いかけることができたら、その時、目の前にあった音符は消えてしまう。あなたは、あなた自身が演奏する音に、驚くことができます。……私はその感覚が大好きです。そのときその音楽は、私たちの音楽になるんです。
バッハを弾いている時でさえも、あなたはあなた自身でいられるし、トシ(* 柴田俊幸さん。〈東京・春・音楽祭2022〉の共演者)はトシ自身でいられる。音楽と対話することができる。即興は、私たちが私たち自身を理解することをとても助けてくれるんです。
もちろん、それは他の誰かの音楽だから、オリジナルのことをリスペクトしなければいけない。でも、私たちは自由で、柔軟なんです。
例えば、リゲティの音楽でもそう。彼の音楽は最も厳格なものの一つだけども──私は、フレージングやアーティキュレーションが自在であることにトライし、音楽の中の生命を見つけることにトライし、そして単純に、ストーリーを語ることにトライしました。
私は、自分自身の音楽を見つけました。だから今、5、10年前に比べてバッハをもっと自由に弾くことができるんです。即興演奏が私をより穏やかにしてくれます……今、私は40歳ですけど、30歳の時はこんなに落ちついていなかった。今の方がよく弾けていますよ。笑
即興演奏の音楽教育について
──ヨーロッパでクラシック音楽を学ぶ音楽家について、即興演奏の教育は十分だと思いますか?
アンソニー: 十分だとは思いません。全く。本当に。音楽家たちの教育について話しましょう──若い音楽家たちの教育についても。書かれた音符を演奏することと、誰かの書いた音符なしに演奏することは、同時に学ぶべきです。
即興演奏を学ぶことは言語を学ぶようなものなんです。すぐ身につけられるスキルのようなものではない。何年も何年も、時間をかけて、少しずつ……即興演奏の面白さとは、言語と同じはずなんです。
この状況を変えようとしている人々はいるけども……難しいですね。教育システムを変えるためには、まず教師たちが変わらなくてはいけない。もし、全ての教師たちが古いシステムだけを信じていたら、新たなシステムに置き換えることはとても困難でしょう。
だから、私も即興演奏を教える必要があるし、あなたたちもその必要があるんですよ。そうでなければ私たちが変わることはないでしょう。
でも、即興演奏の教育は可能なんですよ。オルガニストのことを思い返してみてください。彼らは即興演奏のアカデミーに通っているでしょう。素晴らしいことです。
即興演奏を学ぶことは、“理解”から始まるんです。音楽を──ハーモニーを、メロディを、異なる調性の関係を。もっとハイレベルな要素だと、ムードやアフェクトを。
デレク・ベイリーのドキュメンタリー ~ フリー・ミュージックについて
アンソニー: ところで、即興演奏に関する素晴らしいドキュメンタリー・フィルムを知ってる? 30年くらい前に作られたフィルムだったと思うんだけど……デレク・ベイリー(1930-2005)の。
──もちろん! 知っていますよ。
アンソニー: そう! あれは本当に素晴らしかった! 4, 5ヶ月くらい前に見たんだけど……彼は、即興は全ての営みにおいて文化であると教えてくれました。人の生き方こそ即興なんです。
フィルムの最後のインタビューを見たけど、あれは90年代の音楽で最も純粋なものだったと思います。
私たちにとって最初の音楽は──もし、あなたが原始時代に戻ったなら──それは、小さなフルートと小さなドラムによるものだったでしょう。そして私たちはただ、その楽器を演奏したはずです。ただ、良いと思う音を即興的に作って。音楽を書くようになったのは、歴史上ではつい最近のことですから。
──確かに、即興は私たちにとって始まりの音楽かもしれません。ベイリーたちが行っていたフリー・インプロヴィゼーションやフリー・ミュージックについては、どう思いますか?
アンソニー: 例えば、セシル・テイラー(1929-2018)は素晴らしい音楽家だと思います。一度、ニューヨークで彼のライブを見たことがあります……その演奏によって、私たちは自分の内面に深く触れ、どんなものでも音楽になってしまう。素晴らしい経験でした!
ただ、フリー・ミュージックをずっと聴いたり、演奏し続けることは、私には難しいかもしれません。私が音楽でいちばん求めていることは、音楽の中に構造を感じ取ることなんです。
なぜ自分はこの音を弾いているのか知りたい
──即興でも、書かれた音楽でも、さまざまな要素がありますよね。音や、構造や、フレージング……どれがあなたにとって最も大切なものですか?
アンソニー: 全て大切です。そのどれもが。……でも、それは興味深い質問ですね。
キーボード・プレイヤーとしての自分は、良い音、良いタッチをめざすでしょう。でも、本当に音楽を作り、決断している時、音のことはもう考えないでしょう。
だから、私が演奏するとき、最も大事なことは……おそらくフレージングです。フレーズによって、私が今作っている音楽はどこに向かっているのか、考えるんです。
映画を想像して下さい。異なるショット、シーン、イメージ──全ての瞬間が、一つのある方向に向かっているはずです。今何が起きているのか、今のこの瞬間の音楽は何なのか。私はそれがフレージングだと思っています。
実際、それを他になんと呼ぶのか、どんな言葉があるのかわからないんですが……なぜ私は、今、この音を弾いているのかわからない。私はいつも知りたいんです──なぜ、私はこの音を弾いているのか。
小レビュー:〈Perpetuum ~無窮動〉について──クラシックを、あるいはフリー・インプロヴィゼーションを愛好する人たちへ
この音楽はどこへ? この音は、なぜ? ──目の前にある音符に対する問いかけは、自分ではない誰かが書いた音符に対して、ずっと繰り返されてきたと思います。
かつてその問いかけは、誰かの音楽を「再現」する意味合いを強く持っていました。しかし今は、誰かの音楽を「自分の音楽として」理解するために投げかける、そんな音楽家も多くなってきたのではないでしょうか。
音楽マーケットのカテゴリとしては、おそらく「クラシック」に括られるであろうロマニウクさん。しかし、彼のようなアーティストとその音楽が「クラシック」に現れ、受け入れられていること、そして日本での実演を重ねていることは、私たちにとって大きな変換点の一つではないでしょうか。
また、フリー・インプロヴィゼーション(フリー・ミュージック)を愛好する人たちにとっても、ロマニウクさんのようなアーティストは注目すべき存在ではないでしょうか。
近年、アカデミックな音楽教育を受けたり、クラシック音楽(西洋音楽)的背景に持ちながら、各々の解釈で“フリー”な即興演奏を行うアーティストが増えています。
彼らはその時々に応じたスタイルや、それぞれの個人的な文脈から生じた即興演奏をしながらも、決して、厳格なルールを守るためだけに演奏しているのではありません。たとえ目の前に自分以外の誰かが書いた譜面が置いてあったとしても、とても柔軟に、ごく当たり前のこととして即興をしているのです。
「これは即興?それとも即興じゃないの?」という疑問は、「どこまでが作曲家で、どこからがこの人自身なの?」と言い換えることもできます。〈Perpetuum ~無窮動〉を聴いている時も、トラックリストから目を離した瞬間に気がつくのです。──これはストラヴィンスキー? それともロマニウク? と。
他人の音楽と自分の音楽、その境目が限りなく曖昧になってゆく。というより、その境目が意味をなさなくなってゆく。即興演奏による音楽が特別なものではなく、誰もが当たり前に行う未来も、そう遠くないのかもしれません。
〈Perpetuum ~無窮動〉
*日本の楽器メーカー「株式会社ヤマハミュージックジャパン」の電子ピアノ、『CP80』(生産終了品)が登場します!
- 演奏: アンソニー・ロマニウク
- レーベル: ALPHA CLASSICS
- 使用楽器: ピアノ『ファツィオリ F228』, チェンバロ『17世紀後半 リヨン製 製作者不詳 リヨンのジョゼフ・コレスが1748年に拡張改造』, フォルテピアノ『コンラート・グラーフ 1835年製』, 電子ピアノ『YAMAHA CP80』, ミュゼラー・ヴァージナル『ルッカース 1623年製モデルによるアンドレアス&ヤコブ・キルストレム製作の再現楽器』、シンセサイザー『Prophet Rev2』
収録楽曲
- China Gates
- Pièces froides: II. Danses de travers: No. 1, En y regardant à deux fois
- Suite in E Major, BWV 1006a: I. Prélude
- Perpetuum Mobile
- Etude No. 4 “Fanfares”
- 4 Impromptus, D. 899: No. 3, Andante in G-Flat Major
- Shadings
- A New Ground in E Minor, ZT 682
- Pièces froides: II. Danses de travers: No. 2, Passer
- Parabola
- Piano Sonata, K043: I. Quarter note = 112
- Toccata in E Minor, BWV 914
- Etude No. 2
- Faschingsschwank aus Wien, Op. 26: No. 4, Intermezzo
- Le tombeau de Couperin, M. 68: I. Prélude. Vif
- Uppon La Mi Re
- 24 Preludes and Fugues, Op. 87: Prelude No. 2 in A Minor
- Improvisation upon ‘Uppon La Mi Re’
- Piano Sonata No. 17, Op. 31 No. 2: III. Finale
- Pièces froides: II. Danses de travers: No. 3, Encore
- Toccata Arpeggiata